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サッカーマガジン 1979年2月10日&25日号

時評 サッカージャーナル

新春に思うこと

高校選手権の大波乱
 高校選手権大会準決勝の日に雨になったが、新春6日までは、すばらしいお天気続きだった。雲ひとつない快晴で風もなく、暖かくておだやかだった。おかげで高校サッカーの熱戦をゆっくり楽しむことができた。今回は、実は、日本代表チームの監督について書きたかったのだが、まずは高校サッカーの大波乱に触れておこう。
 優勝候補だった浦和南と静岡学園が、ともに2回戦で姿を消したのには、いろいろ理由があっただろうと思う。
 その第一は、松本暁司、井田勝通両監督が、自分自身、納得できるチームづくりに徹し切れなかったことである。松本監督は、日本ユース代表の指導に加わっていたので、自分のチームの基礎づくりに専念できなかったし、井田監督は、何人かの選手を、ユース代表候補の合宿や遠征にとられたので、自分の狙いどおりにプレーを伸ばしてやることができなかった。つまり基礎づくりの段階で、やむをえないハンディキャップを背負ったのが尾をひいていた。
 第二に、両チームとも、最終段階の仕上げに失敗があったのではないだろうか。全国大会に出る高校チームの監督は、大会直前の2週間で、チームを見違えるように変えるものだ。ところが、浦和南は、エースの水沼が、暮れの29日に宇都宮農と練習試合をしたとき腰を痛め、この水沼の不調の穴を結局埋められなかった。一方、静岡学園は、チャンスがありながらシュートが少なすぎた。何か仕上げに誤算があったにちがいないと思う。
 大波乱の原因の第三は、いうまでもなく、相手が予想以上に強かったことである。室蘭大谷が浦和南を破り、古河一が静岡学園をPK戦で退けたのは、けっしてハプニングではなかった。その証拠に、この両チームがそれぞれ決勝戦に出て優勝を争っている。過去にかなりの実績のある古河一はともかく、雪国北海道の室蘭大谷がここまで出てきたのは、各地の高校サッカーのレベルアップぶりの象徴だといっていいだろう。
 こういうふうに各地の代表の力が上がってくると、埼玉や静岡のような“サッカーどころ”の代表校も、横綱相撲をとることはできなくなるのではないだろうか。
 過去の大会では、優勝をめざすチームの監督は、決勝戦までを見通して選手たちを扱い、1、2回戦ではある程度、手綱を引き締めてしのぎ、準々決勝あたりからムチを入れ、準決勝でエンジンをフル回転させ、勢いに乗せて決勝では手綱を解き放す、というような用兵をしていた。その他の地方チームは、1回戦にすべてをかけてぶちかましてくるが、それを軽くかわすだけの力の差が、優勝候補のチームにはあった。
 だが、今度の大会では、浦和南も静岡学園も、それほどのレベルの差を示すことはできなかった。これは、浦和や静岡のレベルが下がったというよりも、他の地方のレベルが上がったためだと思いたい。この傾向が今後も続くようなら。今後は浦和や静岡のチームも1回戦から「一戦必勝」のつもりで臨まなければならないだろう。そうだとすれば、長い高校サッカー選手権大会の歴史の中に、一つの“時代の変わり目”をつくったものとして、今度の大会が記録されることになるかもしれない。
 率直にいうと、ベスト4の戦術的レベルは、ここ数年の大会よりやや低かったように思う。しかしこれは「どんぐりの背比べ」ではなくて「たけのこの背比べ」だった。きわ立って高いレベルでの争いではないが、これからどんどん伸びる可能性を秘めていた。

代表チームの監督は?
 お正月には、高校サッカーを見るために各地の指導者やサッカー担当の記者が上京してくる。こういう人たちと顔を合わせて話をきくのも楽しみの一つである。
 ことしは高校サッカーの話題もさることながら、アジア大会での日本代表チームの不成績を心配する声が強かった。そういう話の中で聞いたことだが、日本選手団がバンコクから帰ってきたときに、二宮監督が成田空港で非常に微妙な発言をしたのだそうである。つまり、年があけたら、自分の進退をはっきりさせる、というようなことを言ったという話である。
 この微妙な発言が本当かどうかは確かめてはないが、日本代表の監督の座が揺れ動いていることは確からしい。これは当然のことで、代表チームの試合ぶりが、あんなふうであれば、ヨーロッパや南米なら「監督を代えろ」というキャンペーンが、毎日のように新聞を埋めているにちがいない。
 ぼくの個人的意見をいえば、二宮監督自身の気持が、ぐらついているのであれば、思い切りよくすぐに辞任すべきだと思う。これまでにも何度も書いているように二宮監督の功績をいくつかの点でぼくは高く評価している。しかし、サッカーの監督の評価を最終的に決めるのは結果である。アジア大会での結果に言い訳は無用である。
 こういう意見をぼくが述べたら友人が異議を唱えた。
 「だけど、二宮監督はモスクワ・オリンピックを最終目標に起用されたのじゃないのか。それなら10月に予定されているモスクワ予選で真価を問うチャンスを与えるべきじゃないか」
 確かに「モスクワ予選をやらせろ」と二宮監督が自信をもって、がんばるなら、そう主張する権利はある。そういう場合、現在の時点で監督を代えるかどうかは、日本サッカー協会の問題である。ただ、二宮監督自身の気持が、ぐらついているのなら、いさぎよく身をひくべきだと思う。
 浦和南の松本暁司監督は、室蘭大谷に敗れたあと「また、来年めざしてがんばります」といっていた。静岡学園の井田勝通監督は古河一とのPK戦で退くことになったあと「この次は、もっと、もっと魅力のある新しいチームをつくってきます」と語っていた。
 高校チームの監督は、やり直しがきく。しかし代表チームの監督にはあとがない。それがきびしいところだと思う。


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