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サッカーマガジン 1979年1月25日号

時評 サッカージャーナル

私設日本サッカー大賞

W杯中継のNHKに
 「そろそろ78年の十大ニュースをやりませんか」と『サッカー・マガジン』の編集長が、電話をかけてきた。毎年、というわけではないけれど、気が向くと、いまごろ1年間の日本のサッカーを振り返って大きな事件を選んでみたりする。それをまた、「やってみたら」というわけである。
 そういわれて、1年間の新聞の切り抜きをひっくり返してみたけど、いいニュースを拾いあげようとしても、両手の指がふさがるほどはないんだな。ユースがヨーロッパに行ったり、中国や朝鮮民主主義人民共和国に若手のチームを送ったり、警告を3回受けたら出場停止にする制度を作ってみたり、日本のサッカーの幹部たちは、いろいろやってみてくれてはいるんだが、どれ一つとしてパッとしたものは見あたらない。
 東京の駒沢競技場で行われた日本ユース代表とブラジルのサンパウロ州選抜ユースの試合のときに編集長と顔を合わせたから、「いっそのこと一つだけにしぼって、“サッカー・マガジン大賞”を選んだら」と逆に提案してみた。
 「うーん」と編集長が考えこんだのは「えーと賞金はいくらぐらいで、トロフィー代はいくらで、表彰式のパーティーにもお金はかかるし……」と頭の中で電卓をピッポッパッと押してみたからじゃないだろうな。
 そこで例によって口さがない友人たちを集め、「私設日本サッカー大賞」を選定することにした。誌上表彰だけで、賞金もトロフィーもパーティーもなしだけど、実は、ぼくの考えている大賞候補は、ちゃちな賞金やトロフィーなんか欲しがらない大物なのだ。
 「えー、実り少ない1978年を飾って日本サッカー大賞にノミネートされるべきものは、これしかない。すなわち、かの地球の裏側の大フィーバー、世界をわかせたムンディアル、第11回ワールドカップをはるばるアルゼンチンから宇宙中継したエヌ・エッチ・ケーなのであります!」
 「さんせーい! とくに、そのエとノイズに対して賞を贈りたいと思いまーす!」
 悪いことをいうヤツがいる。エとは画面、ノイズとは歓声などの現場の音のことだ。つまり裏を返せば、アナウンサーと解説者のコメントには賞を贈らないというわけだ。この友人は、いい男なんだけど、ときどき偏見に満ちた真実を語るので困る。
 「あー、うー、そのお、国民から集めたお金をですな。えー、民放と同じようなことをやるのではなくてですな。民放のやれないことのために使ってですな。しかも好視聴率をあげたことはです。大賞にふさわしいものと思います」
 「そのとおりであります。アルゼンチンのワールドカップは、世界の150カ国がラジオとテレビで宇宙中継したのであります。テレビの普及率がまだきわめて低い中国ですら中継したのであります。それをです。世界有数の経済大国であり、世界第二のテレビセット保有台数を誇る日本が中継しなかったら世界の笑いものになるところだったのであります。その危機をNHKが救ったのであります」
 なかなか良識ある意見が出はじめた。実はNHKの内部でも、ワールドカップをこれほど多く中継するのには、反対の意見が強かったのだという。しかし国際的な視野をもつスタッフが、多くのファンからの投書に励まされて、局内を説いてまわったときいている。
 そういう事情も併せ考えると、1978年日本サッカー大賞を、NHKのワールドカップ中継スタッフに贈るのは「まことに当を得たものと思うのでありまーす」

殊勲賞は読売ク

 ついでに殊勲、敢闘、技能の三賞を選ぼうということになった。
 「殊勲賞は、読売サッカー・クラブにやりたい。3月に日本リーグの2部から1部に昇格し、その年のうちに、たちまち4位になった。後期だけなら首位である。つまりパ・リーグのように2シーズン制なら優勝している。これまでの日本のサッカーになかったサッカーをやり、新風を吹き込んだのを高く評価したい」
 この件に関しては、ぼくは友人たちのしゃべるのに任せていた。 というのは、ぼくは読売新聞社の運動部に勤めていて、良いことであれ悪いことであれ、へたに口を出すとロクなことがないからだ。このところ、読売と名がつく問題については口にチャックである。
 それでは、敢闘賞はどうか。
 「敢闘賞は、ブラジルに少年サッカーチームを派遣した清水市サッカー協会に贈りたい」
 と、これはぼくが提案した。
 静岡県の清水市サッカー協会は13歳以下と15歳以下の少年選抜チームを作って8月にブラジル遠征をした。2チームが14試合をして7勝4引き分け3敗の成績だったそうだ。 
  ぼくは、この成績よりも、3年がかりで計画を推し進め、審判や指導者を含めて81人をひきつれて行った組織力とバイタリティーに驚嘆している。というのは、つい6、7年前までは、市町村単位でサッカー協会を作ったり、地方のチームが海外遠征を計画したりすると、日本サッカー協会の中に抑えつけようとする保守派がいたものだからである。清水のサッカーは、そんな圧力をはねのけて、ぐいぐいと仕事をしてきた。そこのところを高く買いたい。小学生や中学生の選抜チームを作って海外遠征することには、現在でも批判はあるだろうし、そこらあたりは、専門の先生方の間で十分に討論してもらいたいが、出るクイを打つ式に非難されたり、ことさらに無視されたりすることのないよう、ここに、その敢闘ぶりをたたえておくことにする。
 最後に技能賞はどうか。
 「これにも、絶対的な候補があるぞ」
 と友人が叫んだ。
 「日本代表チームは低迷し、日本リーグのスタンドには閑古鳥がないている。それでもなお、月2回の『サッカー・マガジン』を発行し続けている編集部にこそ……」
 ばかばかしくなって、ぼくは酔っぱらって寝てしまった。


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