カップ戦らしい波乱、だが……
さて、ここらでスリリングな攻め合いの決勝戦から目を転じて、今回の天皇杯全体をふりかえってみよう。
今回の天皇杯には、全国で1421チームが参加した。この年度から日本サッカー協会は個人登録料の制度をはじめたので、第一種登録のチームは選手1人について1000円近くの個人登録費を払わなければならない。そのうえに天皇杯の参加費5000円がある。この負担は決して軽いとはいえないので、参加チームが減るのではないかと見る向きもあったが、減るどころか、前回の1353チームよりも増えたのはたいしたものだ。底辺の力強い拡大ぶりを示すとともに、元旦に日本一を決める大会の末端に、サッカーを愛好する大衆がつながって、押しささえることの意義が、ますます広く認識されてきたものではないだろうか。
12月11日にはじまった決勝大会には、28チームが進出した。
決勝大会は、ベスト8に日本リーグの2部の読売クラブ、住友金属、大学勢の東京農大が進出し、カップ戦らしい波乱が話題を呼んだ。天皇杯が、広くすべてのチームに参加の機会を与えた第52回大会以後、5年間にわたって続いていた日本リーグ1部チームによるベスト8独占が初めて崩れたわけである。
しかし、この結果を見て「下位チームの力が充実してきた」と素直に喜んでいいものだろうか。
下位チームの殊勲をたたえるのに、やぶさかではない。たしかに決勝大会の1回戦で日立を破った東海リーグのヤマハや日本リーグ1部のトヨタ自工、新日鉄を連覇した東京農大の試合ぶりは、ひたむきであり、結果はセンセーショナルであった。準々決勝でフジタと3−4の熱戦を展開して、ヒヤリとさせた住友金属、主力を欠きながらヤンマーを前半苦しめた読売クラブの試合ぶりも悪くはなかったようだ。
けれども、こういうチームの進出は、かなり日本リーグ1部チームのレベル低下に助けられたのではないだろうか。
ヤマハが日立を延長のすえ破った試合にしても、ヤマハの守りのひたむきさは目についたけれども、まだまだ日本のトップレベルのチームとして大手を振って通用するだけの力量や個性を示したものではなかった。ヤマハを率いる杉山隆一監督自身が、「まだまだ、あと2年はかかる」といっていた。
東農大は準々決勝では、主力を負傷で欠いている古河に敗れた。1点差ではあったが、内容はかなり差があった。
読売クラブは、リーグでは与那城と並んで攻めの主軸であるジャイロが、シーズン途中からの登録であるため天皇杯には出場できなかった。主砲の岡島も東海大の卒業試験のため、ほとんど出場しなかった。
こういうチームを相手に、日本リーグ1部のチームが、敗れたり、苦戦したりしたのは情けない。
14年前の東京オリンピックで鍛えられ、10年前のメキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得した日本代表チームのメンバーは、釜本を除いて全部引退した。各チームの監督、コーチも交代期で、実績を築いた人たちが転進し、新しい顔ぶれが増えてきている。
その結果、日本リーグ1部チームは、2、3のチームを除いては、選手の特徴を生かせない平凡なチームになり下がっている。そのために日本リーグの内容が低下し、今回の天皇杯の波乱を生んだのではないだろうか。
そうだとすれば、1部チームの上位独占が崩れたのを「ヨーロッパの国のカップ戦で見られるような、勝ち抜き戦の面白さが出てきた」と喜んでばかりはいられない。
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再び元日の国立競技場に戻ろう。
黄色いユニホームのフジタの選手たちが、メーンスタンドに上がっていって、ロイヤルボックスのところで、賞状とカップを受けた(日本のスポーツ大会では、賞状やカップが多すぎる。せめてこの大会ぐらいは賞状はあとで渡すことにして、天皇杯一つと各選手へのメダルだけにしたいものだ)。
フジタの選手たちは、賞状とカップを、高く掲げてスタンド観衆に見せた。これはいい。協会職員に、そうするように指示を受けたものらしいけれど、カルバリオやマリーニョだけでなく、ほかの選手の喜びようも自然で、わざとらしさがなかった。うやうやしく、お偉方から賞状をおしいただき、観衆に背を向けているのは、この大衆のスポーツにふさわしくない。
メーンスタンドからおりたフジタのイレブンは、まっすぐにバックスタンドに向かった。雨だったから観衆の大部分は屋根のあるバックスタンド側にいたのだが、バックスタンドにも、ひと握りの会社の応援団がいたのである。
会社の応援団の前で、一列に並んであいさつをする選手たちを見て、ぼくは奇妙な感じを受けた。
応援団にあいさつをするのが、いけないというのではない。それはいかにも、学校スポーツ、企業スポーツのカラから脱け出せない日本的風景である。
ブラジルから3人の選手を招き、コーチ陣も他の企業(東洋工業)から引き抜いてチームづくりをしたフジタ。試合ぶりも、これまでの日本のサッカーの枠から脱けだそうとしているように見えるフジタ。
そのチームが、やはり日本的な企業帰属意識を精神的な支えにしているのだろうか。それとも一列に並んだあのあいさつは、先輩や知人家族への、ただの社交的な儀礼なのだろうか?
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