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サッカーマガジン 1978年2月10日&25日号
時評 サッカージャーナル

高校サッカーの指導者

感動的な雪かき
 今年の高校サッカー選手権大会は、出足を天候にたたかれた。元日の開会式は雨もよう、競技2日目の3日は、朝起きてみたら一面の銀世界だった。昨年は連日、奇跡的な快晴続きだったのに……。
 高校サッカーの期間中に大雪が降ったのは、戦前の中等学校大会のときから数えて史上3度目だそうである。昭和46年の1月に関西で大雪に見舞われたのは、ぼくも覚えている。日本テレビと読売テレビが中継をはじめた年で、会場に行ってみたら協会の役員とテレビ局の人が、フィールドに厚く積もった雪を、うらみをこめて見つめていた。
 このときには、まがりなりにも雪かきをして、まだフィールドにかなり雪は残ってはいたが、強引に試合をした。試合開始はかなり遅れ、午後からは雪がとけてフィールドは泥沼のようになったと記憶している。
 さて、今度はどうするのだろうか、と心配しながら会場に行ってみたら、フィールドの上はきれいに雪が取り除かれて、選手たちがボールをけっていた。除かれた雪はフィールドの外に積みあげられて、乾いた芝生を山脈のように取りまいていた。
 この3日の朝にぼくが行ったのは大宮のサッカー場だが、ここは午前10時15分から秋田の西目農と大分工との対戦が第1試合だった。秋田と大分に向けてテレビの生中継があるので、定刻に試合をはじめないと番組に穴があく。除雪作業をながながとブラウン管に映し出すわけにはいかない。
 役員と補助役員に緊急招集をかけ、朝8時から雪かき作業をはじめた。テレビ局のスタッフも加わった。
 第1試合のためにやってきた西目農のチーム全員が試合前なのに自発的に手伝い始めた。応援団の学生と父兄もはいった。さすがに雪国から来た皆さんだけあって雪かきは手慣れたものである。これを見て、相手チームの大分工の選手たちも加わった。こっちは雪かきなんて生まれて初めてだろうから、たいへんだった。
 雪をかき集めてダルマを作りころがしてフィールドの外に運び出す。黙々と雪ころがしをしている年輩の紳士を見たら、西目農の校長先生だった。「思わず胸がジーンとなった」というのは、中継の時間に穴をあけないように、協会に除雪作業をせっついたテレビ局の人の話である。
 大宮では、結局、定刻より15分遅れてキックオフになった。フィールドの中央部には、芝生にうすく雪のへばりついている部分があったけれども、とにかく試合ができたのは、200人の人たちの献身的雪かきのおかげである。
 西が丘サッカー場は、12時15分試合開始だったから、午前中に雪は、ひとかけらも残さずに取り除かれた。翌日から使われる駒沢競技場も、この日のうちに完全除雪した。とけはじめないうちに雪をのけておけば、フィールドは乾いたままで、お天気のいい日とまったく変わらない。
 こうして、高校サッカーの関係者たちは、半日のうちに、三つの競技場の除雪を終わった。これはたいした努力である。大宮は積雪20センチ、東京では30センチだったから、フィールドの大きさを掛け合わせると、人力だけで5700立方メートル以上の雪よけをした計算になる。
 これだけの仕事を手ばやくやりとげた東京と埼玉の高体連の組織力にも感心した。作業の主力になった補助役員は、高校のサッカー部員たちで、学校ごとに電話の連絡網ができているから、早朝の手配で緊急動員が、かけられたのだそうだ。
 「首都圏開催で運営が不手ぎわだった、なんていわれたくないからね」と、ある高体連の先生が意地を見せていた。

ものをいうのは実績
 いま日本のサッカーで、もっとも指導者が充実しているのは、高校サッカーではないだろうか。
 “完全雪かき”を指揮したのは、高体連の役員の先生方で、いわば行政面の指導者だが、技術面の指導者つまり各チームの監督の先生方にも、高校は人材が多い。
 関東では浦和南の松本暁司先生、帝京の古沼貞雄先生、習志野の西堂就先生の3人が、ぼくたちジャーナリストの間では有名だ。3人とも経験豊富な、練達の指導者である。
 このクラスの監督になると、いい選手を育て、いいチームを作るだけでなく、17、8歳の選手たちを掌握し、動かす能力に独特の個性を持っている。
 松本暁司監督の作戦指導のうまさは、よく知られているが、この作戦指導は戦術的なものではない。こういう指示を出せば選手たちは、どう反応するだろうか。こういう作戦をとれば、相手の選手たちは、どういう心理的影響を受けるだろうか――というようなことを十分に計算している。
 今回の大会に、浦和南はかなりの自信をもって臨んだようだが、帝京の古沼監督と習志野の西堂監督は、それぞれ個人的な、あるいは学校のほうの事情があって、必ずしも思いどおりに万全のチーム作りをすることはできなかったらしい。しかし、そんなことはおくびにも出さずに、それぞれ独自の勝負手腕で全国大会に進出し、一つ一つ試合をものにした。
 サッカーの監督としての手腕、経験のほかに、高校のベテランの先生として生徒を扱ってきた経験がミックスされ、それが全国大会優勝などの実績によって裏打ちされている。そこに強みがあるのだろうと思う。
 スポーツのコーチが、外部に向かって示すことのできるものは実績である。いい選手を育て、いいチームを作り、そして勝ってみせなくてはならない。いまの高校サッカーには、そういう監督と、やがてそうなる可能性を持っている人材が、かなりいる。
 コーチだけでなく、運営面でも実績はものをいう。
 思わぬ大雪をはね返した高体連関係者の組織力は、2年目の首都圏大会の大きな実績になったことは間違いない。


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