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サッカーマガジン 1977年3月25日号

'76〜'77日本リーグ総評
古河初優勝の原動力は?
“スピードと激しさ”の本当の意味!!
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 “2冠”に輝いた古河のイレブンの中でいちばんうれしそうだったのは、永井良和選手だった。2月5日、快晴の東京西が丘サッカー場……。舟橋正夫社長、鎌田光夫監督の胴上げを終えた選手が、ゴール裏のスタンド下のロッカールームヘ引きあげてくる。古河のOBで日本サッカー協会専務理事の長沼健さんが、ひとりひとりの肩を抱くようにして労をねぎらって迎え入れる。永井は健さんに手を握られたとき、白い歯をこぼして本当に心から笑った。この笑顔は、長く厳しいリーグを戦い抜いた闘魂の結実だった。 
 永井良和の魂に未来を見た……1976〜77年の日本リーグをかえりみた総評を、ひと口にいえばこうなるのではないか。

総力戦で勝ち得た初優勝
 「みんなです。本当にみんながよくやってくれました。みんなの力で勝ったんだと思います」 
 鎌田光夫監督は、声をつまらせながらこういっていた。たしかにそれは誇張のない真実だった。今年の古河の試合を見た人ならだれもがこのことを認めるだろう。佐藤、荒井、石井、清雲、木口、田辺、須佐、桑原、永井、川本、奥寺……。みんながそれぞれに特徴を生かし、のびのびと自分の役割を果たしていた。 
 交替で出場することの多かった鬼塚、時田、小糸もそうだった。控え選手たちの陰の努力も大きかったという。鎌田監督を助けた宮本征勝コーチ、東京オリンピック前の黄金時代を築いたOBたちや後援会のバックアップもあった。そういう意味で、古河の“2冠”は総力戦の勝利だった。 
 だが、その「みんなの力」を1人の男に象徴させるとすれば、優勝のあとにさわやかに笑った永井良和だと思う。技があり、足があり、ひらめきがあり、闘志がある。良いにつけ悪いにつけ、現在の古河のサッカーの特徴を、この身長169センチの小さな選手が一身にあらわしている。 
 日本リーグの最終戦、永井は前半コチコチになっていた。いつもなら、ちょっとタイミングをとって簡単に味方へ渡せるはずの中盤のパスを、あわてて相手にぶつけるような平凡なミスを何度も繰り返していた。 
 たとえ敗れたにしても優勝は九分九厘確実、しかも相手は最下位のトヨタだ。なにもあわてることはないのだが、優勝を目前にしたプレッシャーが古河のチームにのしかかっていて、それをまた永井が人一倍敏感に示していたのだった。「古河イコール永井だな」とにが笑いさせられた状況だった。 
 後半13分にPKで1点をあげて古河の硬さがほぐれ、続いて16分に2点目がはいった。このシーンがまた興味深かった(図1)。 
 右サイドを奥寺がドリブルで突破してゴール前へ送る。密集地帯で田辺がスルー。背後に走り込んだ永井がシュートした。 
 記者席からは永井のシュートでゴールが決まったようにも見えた。シュートのコースは変わったが、これはカバーにはいったバックに当たったのではないかと思われた。そうであれば、この2点目は記録の上で永井に「得点」がつく。 
 ところが実際には、永井がシュートしたときに鬼塚が左から飛び込んでボールにさわり、“シュートの前でシュートする”形でコースを変えたのだった。鬼塚がさわらなくてもボールはゴールにはいっていたかもわからない。しかし鬼塚が飛び込んだために、「得点」の記録は鬼塚につき、永井には「アシスト」がついた。 
 そのときまで通算アシスト数は永井と三菱の高田がともに7で並んでいたが、このプレーで永井が1アシストだけリードし、結局、初の「アシスト王」となった。 
 奥寺のセンタリングにはじまった一連のプレーに鬼塚が敏感に反応し、勢いに乗ってダメ押しのシュートをする。古河の攻めの良さの特徴がよく出ていたプレーだが、それがそのまま個人タイトルに結びついたところは、今季の古河の強運に永井個人も恵まれているようでおもしろい。 
 このような古河のチーム全体の調子と永井のプレーの結びつきは、たんなる永井の気質のあらわれや偶然の符合ではないように思われる。永井の個性を生かしたときに古河は強く、古河の強いときに永井が個性を発揮できる、ということではないだろうか。

「スピードある攻撃」の3要素
 今季の古河の特徴であり、強さの原因だったのは「スピードと激しさ」だといわれた。鎌田監督自身がしばしばこの言葉を使い、多くの専門家も古河のスピードを強調した。古河の試合を実際に見た人ならだれでも、この言葉の意味を理解し、納得するに違いない。 しかし、古河の試合を見る機会のないたくさんの読者に、この言葉の意味を誤解してもらいたくないと思う。
 天皇杯に優勝したあとに鎌田監督が「けって走って、また走れ」という表現を使ったのが新聞に大きく出た。これを読んで「やっぱりサッカーはキック・アンド・ラッシュなんだな」といった人がいた。この人が相手陣内に大きくボールをけり込んでなだれ込むというような、ふたむかしくらい前のサッカーのイメージをもったのであれば大きな間違いである。 
 最終戦のトヨタとの試合に、次のような場面があった(図2)。
 後半3分、古河の硬さがほぐれはじめたときである。 
 右サイドで永井がボールをとり桑原にパスし、そのままオーバーラップして右コーナーへ走った。 そのときフィールドのまったく反対側にいた奥寺は反射的に行動を起こして、ななめに逆サイドのコーナーの方角へ走ってゴール正面へはいった。 
 同時に左のバックの木口がオーバーラップして縦に左コーナーに向かって走った。 
 中盤右サイドの桑原は内側にちょっと短いドリブルをしてタイミングをかせぎ、大きなサイドチェンジのパスを木口に出した。 
 木口はほとんどフリーでドリブルして食い込んでシュート。はいらなかったけれども、あざやかな攻めだった。 
 この攻撃にはスピードがあった。しかしけっして単純なキック・アンド・ラッシュではない。 
 桑原にボールが渡った瞬間に、永井も、奥寺も、木口も、反射的に行動を起こしている。この反応のすばやさが「スピードのある攻撃」の第一の要素である。 
 3人が行動を起こした方向は、それぞれ違う。それは攻めがはじまった瞬間に、3人の頭の中にひらめいたアイデアが、それぞれ違うということである。  
 一つのボールの動きに対して、みんなが同じことを考え、同じように行動すれば、次にパスを出せるところは一つしかなく、相手にとっては守りやすいが、三人三様の動きには対応しにくい。このような個性のあるアイデアのひらめきが第二の要素である。 
 三つの動きに対して、ボールをキープしている桑原は、相手の守備が右サイドに偏ったのをとっさに見抜き、逆サイドの木口が攻め上がったのを視野にとらえて大きくパスを振った。この桑原の判断の的確さは、「スピードのある攻め」の第三の要素である。 
 もちろん、奥寺や木口の走ったスピードも、またその距離の長さも重要な要素ではある。しかし、古河の特徴といわれた「スピード」は、けっして単純なものではないことがわかると思う。 
 もう一つだけつけ加えれば、今季の古河はコーナーキック、フリーキック、スローインなどの“静止球からのプレー”(リスタート)から、かなりの得点をあげていると思う。 
 結果的には事実上の優勝決定戦となった1月16日、大宮の日立との試合の決勝点もそれだった。右コーナーキックを永井、荒井で短くつなぎ、相手を引きつけておいてから、逆に振ったところからチャンスが生まれた(図3)。「練習していたねらいのとおりでした」と口数の少ない鎌田監督が、珍しく会心の笑いをみせていた。


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