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サッカーマガジン 1977年3月25日号
時評 サッカージャーナル

ペレに会った話

サヨナラ試合を東京で
 「ペレが日本にくるらしいよ」と知らせてくれた人がいて“サッカーの王様”にインタビューする機会に恵まれた。話の内容の大部分は、すでに読売新聞の紙上に書いたけれど、書ききれなかった部分もあるので、熱心なサッカー・ファンのために、ここにあらためて紹介しよう。
 ペレが日本にきた――といっても飛行機の乗り継ぎの都合で一晩ホテルに泊まっただけである。2月4日の夕方にニューヨークから羽田へ着いて、翌朝はもう台湾に向かって飛び立った。台湾へ行ったのは例のペプシの少年サッカー教室のためだ。
 2月4日の午後6時にホテルオークラの1050号室を訪ねていったら、ペレはベッドのそばの簡素な応接セットのいすに腰かけて、リンゴをむいて食べていた。上着を脱いだ気楽なスタイルだ。
 「やあやあ、ようこそ。私の自宅へおはいりください」と冗談をいいながら出迎えてくれた。
 実はポルトガル語の通訳を頼んであったのだが、予定より早くペレに会うことができたので間に合わなかった。
 「英語がへたで申し訳ないが、話は通じるようだから英語でやりましょう」とペレがいう。どうしてどうして。ぼくのブロークンよりもはるかに達者で正確だ。
 「アメリカのチームにいるんだからあたり前だろう」と思う人がいるかもしれないが、ペレはブラジルで小学校しか出ていない。サッカーの指導者になるためには、ブラジルでは体育大学に行かなければならないので、ペレはサントスの選手だったときに、高校卒業資格をとる検定試験を受けた。その外国語の課目で、英語ができないため、ブラジルの言葉であるボルトガル語にもっとも近いスペイン語を選択したという話がある。
 「その後に英語を勉強して、これだけうまくなるんだから、さすがに世界一の選手の頭脳は違う」
 と、こちらは恥ずかしくなった。
 ところで、ペレの話の中でもっとも重要だったのは、今年9月の“サヨナラ試合”を「東京でやりたい」という発言である。
 アメリカの北米サッカー・リーグ(NASL)は、4月に開幕して8月に終わる。これがペレの最後のシーズンになる。
 そのあとニューヨーク・コスモスは世界の五大陸で一つずつサヨナラ試合をする計画を立てている。南米はベネズエラのカラカス、ヨーロッパはペレがワールドカップに初登場したスウェーデンのストックホルム、次のアフリカはラゴス。そのあと、アジアとオーストラリアで1試合ずつやって、最後にニューヨークでコスモス対サントスの試合をする。いうまでもなくサントスは、ペレがブラジルで終始プレーしたチームである。それでは、アジア地域の1試合はどこでするのか。
 日本にも打診がきているということだが9月は日本リーグのシーズンにはいっている予定であり、日程の都合などで、なかなかむずかしいらしい。他の国ではインド、インドネシア、韓国などが誘致したがっているという話である。
 「個人的には、東京でサヨナラ試合をしたい気持だ。というのは、日本の子どもたちが、とても私を好いていてくれるからだ」
 とペレは、はっきりといった。
 ペレのこの気持に応えるには、日本のファンがこぞって「ペレの試合を東京で」という希望を明らかにし、ムードを盛り上げる必要があるだろう。

ファルカンはいい選手だ
 やがて通訳の人がかけつけてきてくれて、こみいった話をポルトガル語でしてもらった。
 「そして、引退したあとの計画は?」
 「ニューヨーク・コスモスの親会社のワーナーとの間に、アメリカ国内でのPRなどの契約がまだ残っている。それにペプシの少年サッカー振興計画も続けてほしいといわれている。しかし、ブラジルに帰って、自分の経営している会社などの仕事に戻らなければ、という気持もあって、まだ決めかねています」
 それからペレは、アメリカをはじめ、世界各国のサッカーについて語った。
 だが、ペレの口から聞きたいのは、やはりブラジルのサッカーのことだろう。
 「ブラジルはつねに世界のトップにいることを要求されているからこれに応えることは、なかなかむずかしい。それにワールドカップとなると、独特の熱っぽいふん囲気があるからね」
 とペレは話した。
 「来年のワールドカップに出るブラジル代表チームの基本的な構成は、昨年のアメリカ建国200年記念大会で優勝したチームとほぼ同じになる。若い選手が多いから、まだ伸びる可能性を秘めているが反面、危険性もあるわけだ」
 「あなたの後継者は出てきているか」
 「後継者といえるかどうかはわからないが、ファルカンやジーコはいい選手だ。ただ将来性があるといわれるファルカンも、もう23歳。私は15歳のときにはすでに注目されていたものだが…」
 インタビューが終わって最後にワールドカップのプレーと戦術についてぼくが書いた『サッカー、世界のプレー』という本を一冊、ペレに進呈した。そうしたらペレはその本の見返しを開いて「ここにサインしてほしい」という。
 ぼくは前に、ペレ自身の書いた技術書『ペレのサッカー』の日本語版を出すのに協力したことがあるので、ペレの本にサインしてもらったことはある。しかし、ペレからサインを頼まれたなんてことは、もちろん、これが初めてだ。


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