新しい個性完成に挑む二宮全日本の試金石
2年後にアルゼンチンで開かれるワールドカップに、アジア・オセアニア地域を代表してただ一つ出場する国はどこか――そのチームを決めるためのアジア地域第1次予選の試合日程が決まった。来春3〜4月にホーム・アンド・アウェーで行われるこの予選を戦い抜くのはやさしい道ではなく、ここで勝っても代表権を得るためには、さらにけわしい2次予選が控えている。
だが、二宮監督のもとに再建へのスタートを切った新しい日本代表チームにとっては、これはまず最初のタイトルマッチであり、この予選での戦いぶりは“二宮全日本”の将来を左右する大事なものになるだろう。
また、国際政治の影に色濃くおおわれたこのグループの試合がどのように行われるかは、アジアと日本のサッカーの将来について考える材料を残すに違いない。
このような二つの意味で、来春のワールドカップ予選は、新しい時代へのジャンプ台になる可能性がある。
1 “二宮全日本”に最初のテスト
――新しい個性を見せてほしい――
「ムルデカ大会の延長線上で戦いますよ、それは、絶対に」
二宮監督はこういって口を“きっ”と結び、どんぐりまなこを、ますます大きくした。6カ月後に決まったワールドカップ予選を目ざして、どのようなチーム作りをし、どのように戦うつもりか ――この質問に対する答えである。
ムルデカ大会の延長線とは、どういう意味か?
それは、一つには釜本を中盤に下げて吉村とともに使ったことに象徴されるチーム作りの考え方である。
ムルデカ大会では、このやり方が、ストライカーとしての奥寺の成長という収獲を生んでいる。さらにもう一つ、藤島を守備的な中盤のプレーヤーとして残し、成功したことにも、この考え方が象徴されている。そういうチーム作りの考え方を推し進めて、来春のワールドカップ予選を戦おう――二宮監督の口ぶりには「サイは投げられた」といわんばかりの感じがあった。
もちろん、布陣――つまり選手の並べ方は“二宮全日本”のすべてではない。布陣は、選手たちそれぞれの、そのときの状態によって、あるいは相手チームの特徴によって、変わってくるかも知れない。だが、ポイントは、ムルデカ大会での“布陣”を生んだ基本的なチーム作りの考え方である。
この問題を突っ込んで説明する前に、来春のワールドカップ予選が、日本代表チームにとって、どのような意味をもっているかを、まず考えてみよう。
二宮監督が戦わなければならないタイトルをかけた戦いは、三つある。
一つは来春からのワールドカップ予選であり、次に2年後のアジア大会である。そして最後に3年後のモスクワ・オリンピック予選がある。もちろん、ワールドカップやオリンピックの予選に勝てば本番の大会があるわけだが、まず予選を戦うことを考えるのが先だろう。
来春のワールドカップ予選は、二宮監督の率いる新しい日本代表チー厶が戦わなければならない三つの夕イトルマッチのうちの最初のテストだ――このことを、まず頭に入れておかなくてはならない。
いいチームを作るためには、ある程度の時間が必要だ。だから二宮監督が、三つのタイトルマッチの中で、最後に行われるオリンピック予選を最終的な目標にしてチーム作りを考えても、おかしくはない。事実、「モスクワ・オリンピックが最終ゴールだ」と二宮監督は考えている。
「しかし」と二宮監督はいう。
「だからといって、ワールドカップ予選は負けてもいいんだ、棄ててかかるんだ、というんじゃあ、いけないと思いますね。そのときそのときで最強のチームを作り、最善の努力をして戦わなければ、元も子もなくなってしまう」
チーム作りは、長期の展望が必要であるにしても、一つ一つ、勝つ努力を積み重ねることである、と考えているようだ。
二宮監督の選択
モントリオール・オリンピック予選に敗退したあとの日本代表チームを引き受けたとき、二宮監督は、一つの重要な選択をしなければならなかった。
それは、引退説の流れていた釜本邦茂選手に、新しい日本代表チームの主軸として残ってもらうかどうか、という選択である。
監督就任直後のマンチェスター・シティとの試合では、ヤンマーが自分のチームの都合で、釜本選手と吉村選手を日本代表チームに出さなかった。そのために、新監督に対する“造反”が起きている、という観測も流れた。
ここでもし「釜本を使わない」という選択をするのであれば、吉村も代表チームから姿を消すことになるだろう。それだけでなく、その他のベテラン選手もすべて切り捨て、思い切った新人起用をして、モスクワを目ざした、まったく新しいチーム作りをしなければならない。
そうなった場合に、日本のサッカー界の選手層から考えて、差し迫ったワールドカップ予選を勝ち抜くことができると思うのは、ちょっと常識的ではないと思われる。
新監督は、はじめから、そういう考えはとらなかった。「釜本選手は、まだまだ力のある限りやってもらいたい。力の尽きた選手はそのときに静かに去っていき、力をつけた選手が、そのときにはいってくる。それが代表チームだ」と考えていた。
そこで「釜本選手に残ってもらう」という選択をしたわけだが、今度は、いくつかの新しい問題を解決しなければならなかった。
たとえば、次のような問題である。
@釜本をこれまでと同じような使い方をするわけにはいかない。それは同じ失敗を繰り返すことになる。
A釜本とともに吉村を使うかどうかを決断しなければならない。それは新しいチームの性格を決めることになる。
B釜本を中心とするチームワークを早急に確立しなければならない。それは釜本と新監督、釜本と若手選手の間に新しい関係を作り出すことになる。
8月のムルデカ大会に、二宮監督は選手を17人しか選ばなかった。これは「チームワークの確立」をまず考えてのことだった。
釜本も吉村も、その17人の中にはいっていた。ただ、その使い方は違っていた。
釜本を中盤に下げ、攻撃的なハーフとして、センターフォワードに起用した奥寺と交互に攻め込ませた。下がったときの釜本が、中盤から出す正確で判断力のよいサイドチェンジのパスは、日本チームの新しい攻め手になった。釜本が攻め上がったときには、同じヤンマーで息の合っている吉村からのパスが生きてくる。そして吉村のキープ力は、味方がリズムを失ったとき、立て直しの貴重な手段になる。
フォワード型の釜本と吉村が、中盤の前のほうにいることによって、ディフェンスにマイナスがないだろうか。そのために、がんばり屋の藤島を「中盤の底」(二宮監督はよく、この言葉を使う)にしてカバーさせてみた。
これまでは吉村について次のような批判があった。一つは攻撃のスピードが落ちる原因になること、もう一つはディフェンスの動きが少ないこと、である。
また藤島については、忠実によくがんばるけれども、攻めのときにアイデアが乏しく、しばしばよいパスを出すチャンスを失うという批評があった。
しかし二宮監督はこういう。
「吉村の中盤の守備は、やらせてみるとブラジル・タイプの独特のよさがある。藤島も守備的な中盤プレーヤーとしてクールな点もあり、見直されていい」
二宮監督は、これまでの主力選手を、別の形で使うことによって、日本代表チームに新しい個性を与えようと試みたのである。その試みのスタートがよかったことは、ムルデカ大会の結果が証明している。
中盤の3人を、古い選手で構成し直したことの理由は、一つには「中盤の選手は、どこの国でも、そう急には見つからない」からである。
「中盤を固めておいて、前線の選手、たとえば高林、奥寺、永井、碓井を一丁前の選手にしたい。横谷、荒井、斉藤などの守備ラインについても同じこと」
こういうムルデカ大会のチーム作りの路線を推し進めて、ワールドカップ予選には、新しい個性を完成して見せてもらいたいものである。
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