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サッカーマガジン 1976年10月10日号
時評 サッカージャーナル

中学生大会の“現実”

古河一中のサッカー
 「簡単にいえば、単純なサッカーが勝った、ということだな」
 記者席のうしろのほうで、こんな声が聞こえた。埼玉県大宮サッカー場で行われた全国中学生サッカー大会の決勝戦。茨城県の古河一中が、後半終了30秒前の劇的なゴールで優勝を決めたときのことである。
 「ああいうサッカーが勝ち進むのは困ったものだ。」
 そういう一部の人たちの声を、以前にも聞いたことがあるし、今回も聞いていた。人口5万の古河の町のサッカーが、少年団、中学生、高校の3つの部門で、ここ数年ずっと全国のトップ・クラスにある。これはたいしたものだと思うが「古河のサッカー」の評判は必ずしもよいものばかりではないようだ。
 それでは「古河のサッカー」とはどういうものか。ぼくが中学生大会の準決勝、決勝で古河一中の試合ぶりを見た限りの印象は、次のようだった。
 大まかにいって、まず攻撃のほうでは単純なキック・アンド・ラッシュである。ボールを奪うと相手ゴールのほうに向かって、力いっぱい大きくける。そこへ味方が走り込む、というやり方だ。
 守り方もはなはだ単純である。ぼくの見た2試合では、比較的大柄で強いバックが、相手のエースとみられる選手に終始つきまとってマークしていた。相手のエース対するいわば“殺し屋”のようだ。あとはパスを受けようとする相手、あるいはボールをもっている相手に、ただ次から次へと突っかかっていく。早め、早めに当たってつぶそうという意図の守り方のように見受けられた。
 このようなサッカーは古河一中のモットーのようで、応援の横幕にも「走れ、当たれ」と書いてあった。
 これは、十数年前までは日本のおとなのチームにも、よくあったタイプである。「百姓一揆」(ひゃくしょういっき)と称した早稲田大学のキック・アンド・ラッシュを古いファンはご存じだと思うが、戦法としてはあれと本質的に違いはない。
 このようなサッカーに対する賛否両論を紹介して議論する余裕はこのページにはないけれども、主観的に結論だけをいえば、ぼくは古河一中のサッカーは好きではない。
 古河一中は攻撃では、短いパスによる組み立てをほとんど使わない。またドリブルも非常に少ない。守りのほうでは、相手を追い込んでボールを奪うという形があまりない。したがって攻守両面にわたって、試合の中で使われるテクニックやタクティックの種類が限られている。このようなサッカーには、次のようなマイナスがあるだろうと思う。
 第一に、選手たちが自分たちのもっている技術やかけひきを十分に使えないから、サッカーをする楽しみが少ないだろう。
 第二に、同じ理由で、見るほうにとっても楽しみが少ない。
 第三に、試合にあまり使わない技術や戦術は、練習でもやらなくなって、少年時代にいろいろな種類のプレーを身につけることが、なおざりにされ、その選手が将来、大きく伸びない心配がある。
 第四に、このような戦法が現代のおとなのトップレベルの試合で通用しないことは、世界の現状をみても、また理論的にも明らかなように思われる。そんなやり方が若い世代のサッカーで流行したら日本のサッカーの進歩にブレーキをかけるのではないか……。

大会のあり方の問題
 おことわりしておくと、以上のような説明は、わかりやすいように、ごく単純化して書いたもので古河のサッカーがマイナスばかりというわけではない。たとえば古河のサッカーは、熱心な指導者による幅の広い少年サッカー・チームに支えられており、古河一中の選手たちの中には、他のチーム以上に、しっかりした実戦的な個人技の持ち主が多い。
 ただ、そうであっても古河一中のような戦法に問題点が多いことは明らかで「ああいうサッカーが勝ち進むのは困ったものだ」とつぶやいた人も、同じようなことを考えたのだろうと思う。
 しかし「全国中学生大会」があり、古河一中が一つのサッカーに徹して堂々と優勝したのは明白な事実である。スポーツの世界はしばしば「勝てば官軍」であり、勝てなかった連中がなにをいおうと犬の遠ぼえになりかねない。
 したがって「古河一中のサッカーは困ったものだ」と考えるのであれば(もちろん、この考えに反対の人もいるだろうが)、とにかく別のサッカーで古河一中に勝ってみせなければ話にならない。
 ことしの中学生大会では、準々決勝で引き分け、PK合戦で退いた静岡県藤枝の西益津中が、内容的には古河一中を圧倒していたそうだし、準決勝の鹿児島桜島中も個性を生かしたいいサッカーを展開してひけをとらなかった。決勝の浦和本太中が互角以上の試合をしたのは、テレビでご覧になった方も多いだろうと思う。いずれも「あと一歩」だったのだが、あと一歩及ばなかったのも“現実”である。
 「困ったものだ」という考えが正しくて、しかも「困ったもの」に勝つ方法がないのであれば、結論の一つは「中学生大会そのものが間違っている」ということである。12〜14歳の少年チームの試合を「全国選手権大会」の形で、しかも酷暑の中の連日の勝ち抜き戦でやる必要があるのかどうか、単一の「中学校」のチームだけでな同年代の少年団チーム(クラブ)の参加を認めたらどうか――こういう問題を協会と中学チームの指導者たちに考えてみてもらいたいと思う。


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