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サッカーマガジン 1976年6月25日号

「モスクワ目ざして身体を張れ」
日本代表チーム二宮新監督に聞く   (1/2)   

 日本代表チームの新監督に三菱重工の二宮寛監督が選ばれた。日本リーグ2度、天皇杯2度優勝の実績は、ナショナル・チームの監督として不足はないが、やはり日本のサッカーの流れを変える異色の起用といえるのではないだろうか。 
 なぜなら、東京オリンピックの前に西ドイツから招いたクラーマー・コーチによって日本代表選手からはずされ、その後、同じ西ドイツでクラーマー氏と並ぶ名指導者バイスバイラー監督の教えを受けて三菱を育てたのが二宮監督であるからだ。クラーマー・コーチの愛弟子たちによって引き継がれてきた日本代表チームは、一つの転機を迎えたようである。  

いきなり新しいことはやれない 
二宮
 ぼくがナショナル・チームの監督になるなんて、牛木さんにも意外だったでしょう。ぼく自身、話のあったのは発表(5月11日)の2、3日前でね。三菱の社内の了解をいただいて、お引き受けすることに決まったのは前日の夕方でしたから……。

牛木 いや、まったく意外だったということはない。その前に健さん(長沼健専務理事)の話を聞いたら「実績のある人」といってたからね。東京オリンピック後の日本のサッカーで実績を残した監督は、日立の高橋さん、東洋工業の下村さん(現フジタ総監督)それに君とヤンマーの鬼武君の4人しかいない。その中で年齢的に働き盛りであるということと東京在住ということを考えれば、二宮監督が有力だろうとは思ってた。君自身も、「あるいは自分じゃないか」と予感がしてたんじゃないの? 

二宮 予感がしてたってことはないけれども……。しかし、サッカーの監督、コーチをしていて、ナショナル・チームを引き受けてみたいという気持をもっていないといったらウソになりますね。 

牛木 ただ、ぼくは二宮監督が、ぴったり適任だとは思っていなかった。いまの日本の監督、コーチの中に、どの点からみても「これだっ!」という人はいないんだ。 

二宮 それは、ぼく自身、そう思います。ぼくの性格とか、いろんな点からみて、適任かどうかなと自分でも考えている。ただ、ぼくが選ばれたということは、これまでのぼくのやり方が容認され、理解されたうえで、それが必要なんでやりなさいといわれたんだと思っています。現在の日本のサッカーがこんな状態なんだから、まるくおさめるというよりも、思い切ってやれということだろうということで、お受けしたわけです。 

牛木 マンチェスター・シティとの試合が全日本の監督としてのデビューだけど、日本代表のメンバーを見て「なんだ、前と同じじゃないか」という気持を多くの人がもったと思うが……。 

二宮 新しいやり方を出していかなきゃというのはよくわかるんだけど、自分の考えを理解してもらいながら、うまく押し進めるということになれば、変なかっこうでやるよりは、これまでの形を踏んどいて、その中でじょじょにやっていくほうがいい。いままでの流れをいきなりせき止めて、新しい流れを作るというのは無理ですよ。流れの中に身を投じて、それから具合が悪けりや変えていくということじゃないかと思いますけどねえ。マンチェスター・シティのような一流のプロを相手に、いきなり新しいことはやれないと思いますよ。 

牛木 外国のように個人的な強さで、かなりのサッカーができるというんならいいけどね。日本は組織的なプレーでカバーしながらやってきたんだから、マンチェスター・シティとの試合は、これまでに作られてきた遺産を生かしてやるんじゃないと、入場料とってお客さんに見てもらえる試合にはならないよね。だから今度のメンバーが、そう変わりばえしない事情はよくわかるんだ。しかし、それだけに、その場、その場の試合に追われるんじゃなくて、4年先なら4年先を見た計画をもってほしい。 

二宮 おっしゃるとおりだと思いますが、ただ、夢を追いすぎて、いきなり奇想天外なことはできない。理想を求めつつ、現実に足をつけて、多くの方たちの理解と協力を得ながらやっていきたいと思うわけですよ。 

牛木 この夏にはソ連遠征が計画されているけど、そのころには……。 

二宮 ソ連遠征のメンバーは、かなり変わるでしょう。
  


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