ブルガリアの少年サッカー
牛木 ペネフさんなどは、そういう子供のときから、仲間の中でずばぬけてテクニックがうまかったわけでしょうね。
ペネフ さあ(笑い)。まあ、選ばれてクラブにはいったんだから、目をつけられたんでしょう。
牛木 10歳でクラブにはいったという話でしたが、上手な子がクラブにはいるわけですね。
ストヤノフ ブルガリアでは、すべてのサッカー・クラブが少年たちのチームをもっています。特に全国リーグの1部のクラブは、15歳〜16歳と17歳〜18歳の2種類のユース・チームを育てることが義務づけられています。この年代では高等学校の全国大会とクラブのユース・チームの選手権大会が二本立てで行われています。
牛木 それで、どちらのレベルが高いんですか。
ペネフ それはクラブのほうが高い。
ストヤノフ 高等学校の大会は文部省の主催でやるんです。ユースの大会のほうは、サッカー協会が主催です。
ボネフ これは1人の選手が両方に出ることができるんです。自分の通っている高等学校のチームで高校の大会に出て、属しているクラブからユース・クラブの大会に出る。
牛木 なるほど。優秀な選手は地域のクラブに集められているから両方に出る。したがって優秀な子を集めているクラブのレベルのほうが、高校チームより上なわけだ。
ストヤノフ もう一つ下の年齢では10歳〜14歳のチームの大会があります。これは子供の選手権ですね。これは学校単位とクラブとを分けていない。一つの学校の生徒だけのチームでも、地域のクラブの子供チームでも出場できます。
牛木 それでペネフさんやボネフさんは、選ばれてクラブにはいって活躍していたわけですね。有名になったのは、いつごろから?
ペネフ 1963年にイギリスでイングランド・サッカー協会の100周年を記念してヨーロッパのユース大会がありました。そのときに16歳でブルガリアのユース代表で出て決勝に進出したとき注目されるようになりました。当時のユース・チームの監督さんが、このストヤノフさんで……。
ストヤノフ 長い縁だというわけだ。
ボネフ ぼくは1966年に17歳でナショナル・チー厶にはいった。その年のイングランドのワールドカップには出なかったけれども、次の1970年のメキシコ・ワールドカップでやっと認められるようになりました。
技術と体力のバランス
牛木 いろいろ困難はありますが、日本でも少年のサッカーはかなり盛んになりつつあるんです。しかしトップレベルになると、なかなか伸びてこない。
ボネフ 聞いたところによると、日本ではサッカーをアマチュアでやっているから、午前中は会社に行って仕事をし、午後はグラウンドに行って練習するということですね。それがうまくないんじゃないか…‥。
牛木 うまくないというと?
ボネフ プロは練習や試合に十分打ち込めるから世界的な高いレベルを目標にすることができる。アマチュアでこれに対抗しようと思ったら、よほど効率のいいやり方をしなければ無理です。
ストヤノフ 東京のような大きな都市にいて午前中は会社へ行き、午後はグラウンドへ行くのは交通だけでもたいへんじゃないか。スポーツは調子にのらないとうまくいかないものだから、あまり無理な体制では打ち込んでやれないだろう。
牛木 ブルガリアでは、どうしてるんですか。
ストヤノフ ブルガリアではクラブでスポーツをやっているから――。たとえばソフィアは比較的大きな都市だけれども、地区ごとにスポーツ・クラブがあって、自分の居住区のクラブでやるから、いろいろな便宜がある。クラブに通うのも、せいぜい15分くらいのものです。
牛木 少年のころから、ずっとクラブでやれるのは大きな利点ですね。日本の現状はなかなか、そうはいきません。ところで、日本のサッカーは間もなくオリンピック予選を迎えなけりゃいけない。あまり気の長いレベルアップ計画をしているひまはないので、さしあたってオリンピック予選のためのアドバイスをうかがいたいんですが……。
ストヤノフ 私は日本チームの指導陣を高く評価していますから、日本チームがこれから短期間に何をやるべきかは、日本のコーチたちがよく知っていると思います。やるべきことはテクニックの向上と基礎体力というかアスレチックな能力(身体能力)の向上です。
ペネフ 特にアスレチックな能力のトレーニングが必要だと思います。
ストヤノフ それは身体能力のトレーニングは結果が早く出るからです。先にいったようにテクニックそのものは、少年のころからの長い間の訓練が必要です。短期間で急には伸びない。しかし体力的なものは、3カ月くらいよく計画された練習をすれば、1試合したあとに、さらに1試合するくらいの体力をつけることも可能です。
牛木 ただ、ブルガリアのようなチームでは選手一人ひとりのボール・テクニックのレベルが高いから、体力的なトレーニングを強化することによって、そのテクニックを十分に発揮させることができるけれども、日本の選手は基礎であるボール・テクニックの能力が低いからどうにもならない。力強くボールをけっても、けったボールがどこへ飛んでいくのかわからないんでは困るから――。
ストヤノフ それはそのとおりだろうと思う。テクニックと体力のバランスはもっとも重要なことだ。
ペネフ そのバランスがとれたら世界一になることを保証するよ(笑い)。90分休まずに走ることができたところで、ボールが動かせなければなんにもならないからね。
印象に残る世界のスター
ストヤノフ ヨーロッパでは、1974年のワールドカップのあと、特に次のようなことが強調されています。第一には、どこのポジションでもこなせるオールラウンドな能力、第二には高いレベルの基礎体力、アスレチックな能力です。この二つはおたがいに結びついたものでなければならない。ブルガリアでも、これまでの特徴であったボール・テクニックに加えて、この二つを強化しようという傾向です。
牛木 足の速い選手を生かして使おうとする傾向もあるようですね。ポネフさんは100メートルを何秒くらいで?
ボネフ 11秒9です。
ペネフ ぼくは、もうトシだから(笑い)12杪台かな。
牛木 7番をつけていたイリエフ選手は駿足ですね。
ストヤノフ 彼は足が短いんで、速く走ってるようにみえるんじゃないかな(笑い)。まあ、これは冗談だけど、本当のところ、11秒5か11秒6ぐらいだと思う。しかし問題は高いスピードで走ることを繰り返して続けられるということです。
牛木 ペネフ選手はたしか1966年のイングランドのワールドカップに19歳で出ていると思うが……。
ストヤノフ そのとおりです。あのときはブラジルと当たってペレやガリンシャを相手に試合をしました。点をとられたのはフリーキックからで、ブルガリアとしてはよくやったと思う。
牛木 長い国際試合の経験のなかで、もっとも印象的な選手はだれですか。
ペネフ まずブラジルのペレ、それから西ドイツのベッケンバウアー、イタリアのファケッティ、イングランドのボビー・ムーア。
ボネフ ぼくはベッケンバウアーとイングランドのボビー・チャールトン、それにイタリアのリベラだな。
ストヤノフ ディフェンスのプレーヤーとしてはベッケンバウアーがナンバーワンだと思う。全般的にはなんといってもペレだ。オランダのクライフの能力はすばらしいが、ワールドカップの決勝戦ではよくなかった。
牛木 最近、ソ連のディナモ・キエフのブロヒンの名前をよく聞くけれども……。
ベネフ たしかに足が速く、テクニックはうまいが、本当に評価されるのは、これからでしょう。
牛木 ブルガリアから西ヨーロッパに行ってプロになっている人はいないんですか。
ボネフ いままでにはいない。来年あたりペネフがいくんじゃないの(笑い)。
ペネフ これは冗談だ。ブルガリアでは、選手が外国に出てプロになることを、サッカー協会が許可しないんです。
牛木 そうですか、なかなかきびしいんですね。きょうは長い時間、いろいろとためになる話をありがとうございました。
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