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サッカーマガジン 1976年2月10日号

天皇杯・全日本選手権総評
日立の優勝はあざやかだった。だが…  (2/2)  

●波乱はあったが内容は低調
――大学チームはなぜ勝てないのか
 
 高橋用兵によみがえった日立の優勝は、決勝戦に関しては鮮やかだった。 
 しかし、天皇杯のトーナメント全体としては、どうだっただろうか。 
 準決勝は2試合とも波乱だった。 
 神戸では、日本リーグに優勝して2シーズン連続の2冠をねらったヤンマーが日立に敗れ、東京の国立競技場では、リーグ2位の三菱にいいところがなく、7位のフジタエ業に不覚をとった。 
 長いシーズンを通じて強いチームが星を残し、実力どおりに順位の決まるリーグ戦に対し、勝ち抜きトーナメントのカップ戦は、下位のチームが一発勝負で意外な波乱を起こすところに面白さがある。 
 そういう意味では、リーグ1、2位のヤンマーと三菱が枕を並べて討ち死にした準決勝は、いかにもカップ戦らしい結果だった。 
 しかし、ヤンマーが日立に敗れたのは、両チームの最近の試合ぶりからみたら意外だったにしても、どちらも三強のなかのチームだし、リーグでは2試合とも引き分けだったのだから、それほど大きな番狂わせとはいえない。   
 一方、三菱はリーグ・シーズンの後期から、チームプレーの歯車が狂っていて、組み立ての軸である森を故障で欠いているとあっては、ちょっと立てなおしは困難な状態だったから、ベスト4に勝ち残ったのが精一杯だったということもできる。  
 いずれにしても、結果は波乱ではあっても勝った日立とフジタにそれほどめざましい充実ぶりが見られたわけでなく、内容的にはカップ戦の面白さを強調できるようなものではなかったように思う。
 本当にカップ戦の面白さを示すためには、同じ日本リーグ1部のチームでも、古河電工あたりに決勝へ出てほしかった。  
 古河はチームの主力の荒井、須佐、奥寺、永井、川本らが23歳から25歳。みな伸びざかりの若いチームである。  
 しかも、その若い選手たちは、みな学生のころから素質を認められ、日本代表チームにも選ばれているタレントばかりだ。勢いに乗って勝ち進めば、これまでの実績以上の試合をする可能性を十分に秘めているし、内容のある波乱を起こして天皇杯にフレッシュな風を吹き込むことができたはずである。  
 だが、その古河は刈谷で行われた準々決勝でフジタに逆転負け。断片的にはいいプレーを見せながら、全体としては素材を生かすことのできない試合ぶりに、まったく失望させられた。   
 もっと欲をいえば、波乱を起こすのは日本リーグの1部チームではなく、2部のチームや大学チームでなければ、本当のカップ戦の面白さとはいえないだろう。 
 だが、ベスト8は4年連続で日本リーグの1部チームばかり。碓井、西野のいる早大も高林のいる中大も、日本リーグ1部の壁を破ることはできなかった。 
 わずかに、杉山隆一監督の率いる静岡リーグのヤマハ発動機が、1回戦で関東大学リーグ2位の法大を破り、2回戦で日本リーグ1部4位の新日鉄を相手に延長に持ち込む健闘を見せたのが目立っただけである。 
 それにつけても、大学のサッカーはなぜ、こうふがいないのだろうか。 
 いまヤンマーにいる釜本と三菱にいる森がコンビを組んでいた早大が、41年度の天皇杯をとって以来、日本リーグの社会人チームと大学勢との格差は開くばかりである。44年度に立大が決勝に進出したのを最後に、大学チームは天皇杯で日本リーグ1部チームに一度も勝っていない。 
 選手の素質は、大学チームも社会人に劣らない。最近は高校の優秀選手が、ほとんど大学進学を目ざすからである。経験豊かなリーダーがいないのは、やむをえないけれども、現在の日本リーグ・チームの水準からみて、大学チームが1勝もあげれないほどのハンディキャップになっているとは思われない。 
 結論だけをいえば、大学チームの弱点は、良い専任コーチがいないことと、強い相手との真剣勝負の試合数が少なすぎることにあると思う。 
 杉山監督のヤマハ発動機は、早大、法大、中大にくらべれば、それほど好プレーヤーをそろえているわけではない。 
 しかし、新しいチームを育てようという杉山監督の情熱と、かかりきりの指導によって短期間に力を伸ばしている。また、毎水曜日に日本リーグ1部の三菱や2部の読売クラブなどと組んだ“ヤング・リーグ”によって上位チームとの試合経験を積んでいる。 
 そのヤマハの活躍は、ふがいない大学チームヘの厳しい警鐘ではないだろうか。

●都県協会よ、がんばれ 
―――運営面の改良は進んでいるが……

 振りかえってみると、毎年、毎年、天皇杯の総評を書くたびに、同じことを繰り返しているようである。 
 大学チームのふがいなさを嘆くのも例年のことだし、運営面の不手ぎわを指摘しなければならないのも、また同じである。 
 ただし、運営面での改良は、協会事務局の若い人たちの努力もあって、少しずつ進んでいる。            
 決勝戦のあとの表彰式に、ヨーロッパ・スタイルを取り入れたのも、その一つである。 
 今回は、せっかくスタンドに選手のほうが上がっていって、天皇杯を受け取るようにしながら、ロイヤルボックスの中に整列して、うやうやしく表彰状の朗読を聞くような野暮をやっていたが、これも慣れてくれば改められてもっとスマートになるだろう。 
 いささかつけ加えれば、せっかくヨーロッパ・スタイルを取り入れたのだから、表彰状の朗読なんぞやめるべきである。 
 また、放送局や新聞社のトロフィーをつぎつぎに手渡していたが、カップは天皇杯一つにしぼるべきである。たくさんカップを渡したからといって価値が高まるわけではない。逆に天皇杯の重味が軽くなるだけである。
 選手たちは、カップを受けとり、お偉方とつぎつぎに握手をしたら、お偉方のほうにおしりを向けて、大衆のほうに向いてカップを掲げてみせ、喝采にこたえたほうがいい。偉い人にペコペコしている風景は、いつもながら愉快でない。勝利をかちとった主人公は君たち選手なのであり、それを支援してくれたのは大衆なんだということを知ってほしい。 
 まあ、こういうことも、しだいしだいに改良されていくだろう。
 もっと重要な点でも、少しずつではあるが改良は進んでいる。 
 たとえば、一つ一つの試合は、自主運営の方向に進んでいる。 
 決勝大会の1回戦は各地に分散して行われているが、各地の都県協会は1試合について2万円の負担金を払えば、入場料収入はすべて地元のものになることになっている。2回戦は負担金10万円、準々決勝は25万円と上がっていくが、遠征チームの旅費、宿泊費は中央(日本サッカー協会)で持つのだから、それほど過重な負担ではないと思う。 
 準決勝は関東と関西の協会の主管で、これは入場料収入の中から旅費、宿泊費の経費を差し引き、純益の3分の1を日本協会が、3分の1を主管の地元協会がとり。残り3分の1を天皇杯全体の経費としてプールするために積み立てる。決勝戦だけは日本サッカー協会が直接管理する。 
 こういうシステムだから、各地の協会が試合を引き受けて意欲的に観客を動員すれば、地元協会がうるおう仕組みである。したがって各地の協会は、サッカー振興のためにも、積極的に試合を引き受けて、観客を集めるように努力してほしいと思う。 
 ところが、こんなふうにレールが敷かれているにもかかわらず、都県協会の努力はまだ十分でないように思う。 
 地方で行われた1回戦のある試合は、観客の動員できるような会場でもなく、実際にお客さんは数えるほどしかいなかった。 
 その試合は90分を終わったとき同点で延長戦になったのだが、地元の県協会の人はだれもきていなかった。 
 そのままPK合戦をするのか、延長戦をするのか、延長戦は何分なのか、レフェリーが確認しようとしても、担当の役員がいないのである。対戦チームの監督にきいて10分ずつの延長戦ののちPK合戦をしたのだが、1298チームの中から選び抜かれた26チームによる試合の管理が、こんな状態ではなさけない。もう一つ、つけ加えれば、この試合は公式記録もつけていなかった。 
 大会のプログラムも立派なものができていて、その中に各地方で行われた試合の成績が全部出ている。ところが、その中である県だけは、参加チーム名は出ているが試合の結果は県大会の準決勝からの3試合しか出ていない。聞いたところによると、県協会で記録を集めていないのだという。これも、いささかお粗末である。天皇杯は、日本で最高の、すべてのチームが参加できる大会である。日本中のすべてのチーム、すべての協会が、この大会をもっと大切にし、大きく育てるように努力すべきだと思う。 
 日本協会のやり方にも改めるべきところか多いけれども、都県協会も、もうひとふんばりしてもらいたいものである。

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