クライフの表情
長いまつげの下に、うるんだひとみが、きらりと光っている。精かんな、それでいてなぜか悲しげな表情だ。とぎすまされた神経がほおのこけた天才型の風貌の下でぴりぴりしている。
ヨハン・クライフは、そんな印象のプレーヤーだった。本誌に紹介されたカラー写真でもそうだったし、西ドイツのワールドカップのとき、自分の目で見たときもそうだった。テレビにクローズアップされるときのヨハン・クライフもそうである。
ところが―。
ワールドカップの記録映画「ヘディング・フォア・グローリー」のワン・カットに大写しになるクライフは、ちらりと、これまでの印象とは違う一面の性格をのぞかせる。
それは、明らかにキャプテンの顔である。
あくまでも冷静に、感性ではなく理性でゲームの流れを読み、興奮する同僚を抑えて、的確な指示を与える。意外におだやかで、さめた表情である。
プレーぶりから考えてみれば、クライフにそういう一面があるのは当たり前かもしれない。
突如としてゴール前に躍り出て相手の守りのもっとも弱いところを一瞬のうちにつく。飢えたオオカミを思わせるカンのひらめきと鋭い動きは、たしかに天性のものである。
しかし、中盤に退いて次に起こるであろう場面を推理し、腕をあげて味方に指示を与えているときのクライフは、さめた頭脳と経験に裏打ちされた落ち着きにものをいわせているはずである。ワールドカップの映画のワン・カットはそういうクライフの一面を鮮明にとらえていた。
残念ながら、このワールドカップの記録映画は日本の劇場では公開されないが、その代わり1月4日の午後2時15分から日本テレビ、よみうりテレビ系で放映されるからファンはこれを見のがさないようにしていただきたい(地方によっては、別の日に放映されることもあるからご注意)。
記録映画として、一応1次リーグの試合から主な場面は、ある程度収録されているし、もちろん優勝した西ドイツ・チームの試合ぶりも紹介されている。だが、この映画の主人公は、ヨハン・クライフである。クライフを中心にストーリーを展開しようとした製作者の意図は明らかである。クライフが世界のサッカーの歴史の中で、偉大なペレの後継者としての地位を占めるかどうかは、まだわからないし、ぼくの考えでは。そうはなりそうにないように思うが、少なくとも1974年の西ドイツ・ワールドカップの主人公は、クライフだったようだ。この映画を作ったのはイギリス人だが、イギリス人の目にも、クライフがこの大会の主人公として映ったのは面白い――とぼくは考えた。
とはいえ、おそらく何百時間もカメラをまわしたに違いない莫大なフィルムの中から、2時間足らずの映画を作るには、別のまとめ方もできるのではないかと思われる。たとえば西ドイツの爆撃機ゲルト・ミュラーを主人公にした映画もその気になれば、まとめあげられたのではないだろうか。
この映画の中にも、ミュラーを主人公にすれば、一つのクライマックスに使えそうなシーンが、一つふくまれている。
ミュラーの恐るべき才能
西ドイツ対オランダの決勝戦の後半はじめごろに、ミュラーの決めた西ドイツの追加点がオフサイドになる場面がある。
右サイド45度から西ドイツのグラボウスキーがける。ゴール前ヘロビングが上がったとき、ゴール前の最後尾を守っていたオランダのレイスベルヘンがするすると前へ上がる。オランダの得意なオフサイド・トラップである。
それと、ほとんど同時に、オランダのバックスにがっちりマークされていたミュラーが、すれ違うようにゴール前へ飛び出し、グラボウスキーのけったボールを受けて、もののみごとにゴール左すみに叩き込む。審判はオフサイドをとったのだが、そうでなければ西ドイツの3点目になるはずの幻のゴールだった。
映画「ヘディング・フォア・グローリー」では、この場面をスローモーションで見せる。
グラボウスキーがける。ボールが空中を飛ぶ。そのとき、まだレイスベルヘンは最後尾にいる。ミュラーはオランダのバックスに囲まれている。
レイスベルヘンが上がるのとすれ違いにミュラーが出るのは、そのあとである。つまり、スローモーションで見れば、明らかにミュラーはオフサイドではないのだ。
もちろん、審判員はスローモーションを見たのちに判定するわけではないから、映画を見たわれわれが審判の誤りを指摘するのは適当でない。
だから、ぼく自身は前から、この場面がオフサイドでないことに気づいていたが「サッカー・世界のプレー」(講談社版)という本を書いたときには、単に“微妙な判定”としか表現しなかったくらいである。
しかしながら、オランダの真似をしてオフサイド・トラップを乱用しているチームにとって、背筋の寒くなるようなシーンであることは確かだろう。それと同時にオフサイドぎりぎりのところで勝負したミュラーの恐るべき才能をあますところなく見せつける場面でもある。だから、かりにミュラーを主人公に、この映画を編集したとしたら、ハイライトの一つになったに違いないと思う。
新聞雑誌やテレビで報道しつくされたように思っていても。映画はまた別の一面を見せてくれる。サッカーのワールドカップの魅力は、思えば実に底の知れないものがある。
|