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サッカーマガジン 1975年10月25日号

「正しい勇気」を示した日本協会
中止決定はおそ過ぎたけれど…     (2/2)  

●誰に責任があるのか
 台湾問題が開催中止の決定的原因であったかどうかはわからない。開催した場合にマイナスになる材料は、協会の資金難や事務的な準備の遅れまで数えると、五本の指には収まらないくらいあげられるから、皮肉っぽくいえば、協会発表の諸般の事情というのが、もっとも当を得ているのかも知れない。  
 日本サッカー協会が大会を自主的に中止してしまったのだから、台湾チームの入国を認めるか、認めないか、という問題は、日本政府にとっては起きないで終わった形になった。  
 だから、これはまったく仮定の問題であるが、かりに日本政府が台湾チームの入国を認めなかったとしたら、大会中止は政府の責任だろうか。
 これまでにも、特定の国の選手団の入国を認めなかったために、問題になったスポーツ大会がいくつかある。たとえば、1962年の第4回アジア競技大会がジャカルタで開かれたとき、当時、中国寄りだったスカルノ大統領のインドネシアは、台湾とイスラエルのチームを入国させなかった。政府の方針で選手団が入国できないのは、スポーツ団体の能力の範囲を越えている。
 だから、そういう場合に、政府のスポーツに対する干渉を非難することはできても、スポーツ団体に責任をかぶせるのは酷だろう。
 したがって、オリンピックのような大会の場合には、開催地に立候補するときに、スポーツ団体に対して、大会が支障なく開けることを保証させると同時に、その国の政府の裏書きを求めている。
 だから、かりにオリンピックで、その国の政府が一部の国(あるいは地域)の選手団の入国を認めなかったとしたら、政府の約束違反であり、政府のスポーツに対する干渉を非難することができる。
 しかし、スポーツ団体が、政府から全参加チームを入国させる保証を得ていないのに、勝手に大会を誘致したのだったら、その場になって政府が「うん」といわなかったからといって、政府に責任を押しつけるわけにはいかないだろう。見込みもなくて大会を誘致したスポーツ団体の責任である。  
 イスラエル選手団の安全についても、同じことがいえる。  
 大会を東京で開催したいと申し出る以上は、参加チームの安全について、日本サッカー協会は、十分の自信をもち、万全の対策をとり得る見通しがなければならなかったはずである。ミュンヘン・オリンピックのときの事件は 初めてのケースだったから、虚をつかれたのも、やむを得なかったかも知れない。しかし、西ドイツは、次のサッカーのワールドカップのときには、警備に万全の対策を立てると同時に、高度な政治的判断による手も打っている。いろいろ前例があるのだから、今回のオリンピック予選も、甘くみることはできなかったはずである。 
 こういうふうに考えてみると、中止の原因がイスラエル問題であるにせよ、台湾問題であるにせよ、日本サッカー協会の責任は、まぬがれないように思われる。 
 台湾との問題は、日本サッカー協会が、中華人民共和国のサッカー協会との間に結んだ「会談紀要」(コミュニケ)とも、からんでいる。この中で日本は、台湾のサッカーと交流しないことを約束している。これには複雑ないきさつと背景があるが、問題をこんがらがせないために、ここでは立ち入らないことにしよう。 
 ただ、オリンピック予選の組み合わせは、FIFA(国際サッカー連盟)の決めたことで、日本サッカー協会の権限外であるにしても、台湾チームを日本に招いて試合をすることと、外国で開かれるFIFA主催の大会で、やむを得ず顔を合わせることとは、おのずから状況が違うことを指摘しておこう。

●近道を通った失敗  
 「道はいくつもあるんだから、なにも、ちょっと近道だからといって、犬のワンワンほえているところを通ることはないんだよ」 
 オリンピック予選の東京開催について、ぼくは、こう考えていた。 
 この予選の目的は、参加6チームの中からモントリオールに行くチームを、1チームだけ決めることにある。その目的を果たすことが、まず第一である。 
 予選のやり方は、いくつもある。東京に6チームを集めて大会をやるのは、その一つの方法である。日本チームに、もっとも有利なのは、この方法であると、日本サッカー協会は判断した。そういう意味で、これは近道である。 
 しかし、本当をいうと、近道は正しい道ではない。なぜなら、6チームの中から1チームを選ぶために、特定のチームだけが特別に有利になるような方法は、フェアではないからである。 
 しかも、この道には、イスラエル問題や台湾問題のような、心配ごとがある。つまり犬がワンワンほえている。かみつくかどうかはわからないし、かみつかれないように防具をつける方法も考えられないではないが、犬を避けて別の道を通るほうが賢明ではないか。まず、正しい道(公平な方法)で犬をさけることを考え、それがどうしてもダメなら、多少の不利は忍んでも、まわり道をするほかはないんじゃないか、とぼくは考えていた。
  いまになって「それ見ろ、ぼくのいったとおりじゃないか」と先見の明を誇る気持はない。 
 協会は当事者だから、外側から取材するぼくたちにはわからない情報をもって判断したのかも知れない。それが裏目に出たとしても結果論をいったところで仕方がない。 
 10月開催を中止したのは、おそ過ぎたけれども正しい勇気だったと、ぼくは思う。 
 「延期」でも「返上」でもなく、「10月開催は中止」という表現をとったのは、「11月以降に事情が許せば、東京で開くこともありうる」という含みだという。しかし、現実には、その可能性はうすく、イスラエルに開催権が移るか、韓国に肩がわりしてもらうかのどちらからしい。 
 日本、韓国、フィリピンのグループと、台湾、イスラエルのグループに分けて、別に1次予選をやるのも、一つの方法だと思うが、いまからでは、時間的余裕がないかもしれない。 
 近道を通るのに失敗したからといって、入り組んだ脇道を求めるのも考えものである。ここはサッパリと失敗を認めて手をあげるべきだろう。 
 日本代表チームが勝つことを、ぼくも心から望んでいる。正々堂々と、どこへ出ても勝てるようであってほしい。 
 また、今度の問題を、政治や暴力に屈したものと考えるのは間違っている。犬がほえている道をあえて渡ろうとするのは、本当の勇気ではなく、頂上を目前にして下山を決意するのは、本当の勇気である。

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