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サッカーマガジン 1975年10月25日号

「正しい勇気」を示した日本協会
中止決定はおそ過ぎたけれど…
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 「頂上を目前にして引き返す勇気があるかどうかですよ」   
 9月にはいって間もなく、オリンピック予選の東京開催が、むつかしい状況になっているときいて日本サッカー協会を訪ねたとき、ぼくは、協会の実力者である小野卓爾専務理事に、こう意見を述べた。 
 ヒマラヤの未踏峰を目ざして、明日の朝には頂上にアタックできるところまで、ようやくたどりついたパーティーが、テントの中でモンスーンの到来を知る。あるいは、事故で仲間が負傷する。そういう状況に陥ったときあえて危険をおかして頂上を目ざすよりも、栄光を目前にして山を降りるほうが勇気を要する。真の登山家の勇気は、そういう場面で示される。 
 よく、たとえにひかれるこの話を、10月3日から10日まで東京で開催する予定だったモントリオール・オリンピックのサッカー・アジア地域予選第3組の競技会について、引き合いに出したのである。
 それから、ほぼ2週間たってから、日本サッカー協会は「東京での10月開催は中止」という結論を出した。  
 ぼく自身は、ずっと以前から、「日本は予選開催を引き受けるべきではない」と主張していた。その意見のくわしい理由を本誌にも書いたことがある。  
 そういう立ち場からいえば、自ら予選開催地に立候補して引き受けた日本サッカー協会の登山計画が、そもそもまちがっていたということになるわけだが、それはさておいて、いよいよ、嵐の襲来の危険が迫ったとき、大会開幕を半月後に控えて、あえて中止に踏み切ったのは、頂上を目前にして下山した勇気に似ていると、ぼくは評価したい。

●イスラエル問題
 10月のオリンピック予選を中止に追い込んだ決定的な理由は、何だったのだろうか。9月のはじめに頂上を目前に下山する話をしたころには、いちばん大きな困難は、イスラエル・チームに対する警備の問題のようだった。 
 3年前のミュンヘン・オリンピックのとき選手村のイスラエル選手団の宿舎が過激派に襲撃されて以来、パレスチナの側に立つ過激派グループが、国際的な競技会に出場するイスラエル・チームをねらう危険は、常に心配されていた。
 サッカーのオリンピック予選の場合も、はじめから、そういう心配はあった。サッカー協会は「なんとかなる」という見通しをもって、大会開催の計画を立てていたに違いないが、目算が狂ったのである。 
 話の性質は少し違うけれども、プロ野球の広島カープが初優勝めざして快進撃を続けているときに、地元の広島球場で、興奮した観客がグラウンドに乱入する騒ぎがあった。広島の野球ファンは、血気盛んなことで、かねがね有名である。 
 あの騒動が起きるほんの数日前に、ぼくはたまたま、広島カープの代表をしている重松良典氏に会った。重松氏は、慶応大学と東洋工業で名フォワードとして鳴らし、日本代表選手にも選ばれ、日本リーグの二代目の総務主事を務めたサッカーマンだから、ぼくはよく知っている。  
 「ちょっと大変な熱狂ぶりになってきたからね。地元の警察署だけでは、とても手に負えない。県警を中心に、いくつかの警察署から人数を集めて、広島球場警備対策のために250人くらいのチームを作ってもらったんだよ」 
 と、重松代表は話していた。 
 それだけの準備をしていたにもかかわらずその数日後に、ごく一部の観客の乱入が大騒ぎを起こした。 
 翌日の午前中に、重松代表は関係当局を訪ねてまわって警備の強化を依頼してまわったが、うまくいかなかった。
 「球場の秩序維持に自信がもてないから」という理由で、その夜の試合は中止になった。 
 生一本な重松代表が、男泣きに泣いて異例の中止を発表し、善良なファンにわびた姿はテレビのニュースでも報道され、新聞にも写真が載ったから、ご覧になった方も多いだろう。
 サッカーのイスラエル・チームに対する警備の問題も、似たところがないとはいえない。 
  大会が近づくにつれ、天皇ご訪米の日程と重なったこともあって、過激派の活動が予想以上に活発化してきた。
 イスラエル・チームの警護は、日本サッカー協会の責任であるが、警備当局の好意的な協力がなければ、事実上不可能である。
 警備当局は、できるだけのことをしてくれるにしても、100パーセントの責任を負いかねることは当然だ。といって、こっち側にも万全の自信は、ないだろう。 
 広島代表は、男泣きに泣いて多くの人たちに迷惑をかけたことを詫びた。 
 しかし、日本サッカー協会は、中止を正式決定した9月18日の理事会後の記者会見で、泣きはしなかった(関係各国と日本のファンに対するおわびの言葉も、報道陣からの誘導質問で、やっと紋切り型に出てきたくらいだった)。
 この席で、サッカー協会は、「イスラエル問題のほかにも事情がある」といい、中止の理由が「協会の力を越えたところにある」ことをにおわせた。  

●台湾問題 
 渉外担当の岡野俊一郎理事は「(中止に踏み切らなければならない)決定的な情報を、昨日いただいた。それは警察関係からではない」と語った。「昨日」というのは、中止決定の理事会の前日、つまり9月17日である。 
 日本サッカー協会は、その2週間前の9月4日に、すでに在京理事の緊急会議を開いて東京予選を中止すべきかどうかを相談している。動きは、その前からあったに違いない。このころの大きな問題点は、イスラエル対策だったように思われる。      
 「イスラエル問題以外にも事情があり」、またその後に「警察関係以外からの決定的情報」を得たというのが事実だとすれば、その事情は何だろうか。 
 台湾をめぐる何かがある――それ以外にはぼくの頭には、ちょっと思い浮かばなかった。 
  いま、日本と台湾の間には国交関係がない。日本政府は、台湾を国としては認めていないわけである。ということは、台湾の“国民”であるという旅券を持って日本に入国しようとする人たちの面倒を必ずみなければならない義理はない、ということである。 
 国交のないところへ渡航するには、なかなか面倒なことが多い。ぼく自身も何度か経験したことがある。 
 まず、入国許可を得るために、どこか渡航先の代表機関のある第三国(または地域)へ行かなくてはならない。台湾チームが日本に来る場合は、まず香港あたりに行って日本領事館に申請を出すのだろうと思う。 
 ふつうは、旅券にポンとビザの判を押してくれて、それでOKだが、国交のない相手のときは、そうはいかない。認めてない政府の発行した旅券には、判を押さないのである。特別に入国を認めることを示す別の紙きれに判を押してくれることになる。 
 その紙きれをくれるかどうかは、まったく当局の裁量しだいである。国交のある国ならスポーツ代表国のビザは、ほとんど無条件でくれるし、無査証でいい国もある。しかし、国交のない相手の国の人たちに対しては、個別に審査して、入国させることが各方面の利益に反しないかどうかを、大局的に見ることになるだろう。スポーツのためにいいことでも他の日本国民に不利益となるようなケースであれば、入国を認めないかもしれない。 
 入国許可を出してくれなくても、あまり文句のつけようがない。入国させるのは、いわば一種の恩恵である。恩恵を与えるかどうかは、政府当局の裁量しだいである。 
 日本政府が、台湾のサッカー・チームの入国を認めるか、認めないかはわからない。たてまえとしては、香港の領事館に申請が出たのち審査することになるんだろうと思う。申請が出ても書類をそのまま積んどいて時間ぎれになるようなケースもないわけではない。
  しかし、それは実際的ではないから、事前に受け入れ側の日本サッカー協会が、外務省と法務省に、入国許可を出すように頼んでおくのが、ふつうである。協会はもちろん、そのために当局と接触しただろう。
 こんなことがあった。 
 9月のはじめに、アラブ諸国の一つであるクウェート政府が、現地の日本大使に対して、イスラエルを加えた競技会を日本で開くことに抗議してきた。この抗議は外務省を通じて日本サッカー協会に伝えられた。 
 渉外担当の岡野理事は、9月5日の午前中に外務省に行って事情を説明したはずである。そのあとで、ぼくは外務省筋に強い人に様子をさぐってもらった。 
 「クウェートの抗議そのものは、そう大きな問題じゃないようですよ。本当の問題点は、台湾のほうじゃないんですか」 
 これは、9月5日の夕方に、ぼくが得た情報である。


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