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サッカーマガジン 1974年5月号

特別座談会
朝鮮の4.25チームを迎えて       (4/4)    

朝鮮サッカーの歴史
牛木 ぼくたちは「ピョンヤン4.25」チームの試合ぶりを見て、予想以上に強いのに、ただただ、びっくりしているんですが、朝鮮のサッカーがどうして、こんなに強くなったのか、その歴史的な過程を知りたいですね。

岡野 特に1966年のワールドカップで活躍するにいたるまでをね。

リ・ハンボク責任指導員 朝鮮のサッカーの水準は、植民地時代からアジアでも高い方だったと聞いています。解放後、1945年から50年の間には、それがさらに、いっそう発展しました。これは社会主義制度によって人民の生活に余裕ができたからです。その最初の成果が1947年の第1回国際青年学生祝典のサッカー部門で優勝したことです。

岡野 いまのユニバーシアードの前身で、社会主義国の間で開かれていた大会ですね。

リ・ハンボク責任指導員 しかし1950年代のはじめの戦争で優秀な若者たちが犠牲になり、一時期は技術的にレベルが落ちました。しかし、戦争後、キム・イルソン主席の体育の大衆化の方針に基づいて、ふたたびスポーツが盛んになり、1959年から60年にかけて一応の頭角を現したのではないかと思います。59年から60年にかけてヨーロッパの国々を訪問して、その国の一級チームと試合をしてほとんど負けなかったし、1961年にはモスクワ・スパルタークを迎えて2対1で勝っています。モスクワ・スパルタークは、当時、ソ連の最強チームでした。

牛木 昨年日本に来たピョンヤン高等軽工業学校のキム・ジョンソン・コーチは、スパルタークに勝ったときの代表選手だったといっていました。当時のシステムはどんなものでしたか。

リ・ハンボク責任指導員 1945年の解放後は、WMフォーメーションです。1950年代の戦争後はセンターフォワードの下がった形が多く使われました。

岡野 当時無敵だった有名なハンガリーのシステムだな。

リ・ハンボク責任指導員 1959年から60年代は4−2−4システムに移りました。1966年以後は4−3−3システムです。

リ・チャンソン監督 基本的には、主席の体育の大衆化の方針に従ったこと、またブラジルやイングランドのサッカーの良さを取り入れるだけでなく、チュチェ(主体)思想という言葉をご存じだと思いますが、それに従って、朝鮮式サッカーを追求した結果が、朝鮮のサッカーを強くしたのではないでしょうか。

アジア大会の予想
岡野 本当に朝鮮のサッカーは強いと思うんだけれど、これが昨年のワールドカップ予選で、イランとクウェートに負けたのは不思議だね。

リ・チャンソン監督 昨年のワールドカップ予選の場合は、一言でいうとこちらの準備が不足でした。ワールドカップの参加申し込みのときに、いろいろな事情で朝鮮民主主義人民共和国の参加申請が遅れ、その間にアジア地域の予選の組み合わせが決まってしまいました。FIFA(国際サッカー連盟)の決定で、わが国は、どこかのチームが棄権したら代わりに参加できることになり、結局、インドが棄権したので、その代わりに出場することになったのですが、その通知を受けたのが4月の末で、1カ月しか準備期間がなかった。

パク・ドイク指導員 当時「4.25」は東南アジアへ、「2・8」は中国へ、「アムロッカン」ばモスクワに出かけていた。それが帰ってきてから代表チームを編成したので準備不足でした。

牛木 ふつうは2、3カ月前に集めて、徹底的にしぼって鍛え直してチームを作るんだそうですね。1カ月ぐらい前からは調整期間に入るという話です。そういう準備が十分でなかったということですね。ところで9月にテヘランで開かれるアジア競技大会に朝鮮は出場しますか。

リ・チャンソン監督 全競技について参加するための準備はしていますが、正式には私たちの帰国後に決まると思います。

牛木 もし参加するとすれば、どこが強敵になると思いますか。

リ・ハンボク貴任指導員 地元のイランのほかに、中国、ビルマ、マレーシア、日本、それに南朝鮮(韓国)は参加するならば良い準備をしてくるだろうと思う。

長沼 だけど参加するならば朝鮮は断然だね。それからやっぱりイランだろう。今年のマレーシアはダメですよ。主力選手がかなり香港のプロにとられている。

岡野 イランで開かれた大会では、イラン以外のチームは絶対に勝たないというからね。

リ・チャンソン監督 しかし、イランはそれほど強くないですよ。昨年のワールドカップ予選では、こちらが負けましたけれど。

長沼 イランがそれほど強くないという点は同意見ですね。日本はバンコクのアジア大会でイランに勝ったことがあるんです。だから、朝鮮が昨年、イランに負けたのを聞いてびっくりした。そしてまた今度、おたくのチームを見て、これがどうしてイランに負けたのかと、また、びっくりした (笑い)

牛木 どうもありがとうございました。アジア大会のときも、また、来年日本のチームがピョンヤンを訪問したときも、おたがいに会う機会があると思います。親善交流がますます発展するように努力しましょう。

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