●ペレに代わるものは誰か
この15年間、世界のサッカーは、ペレとともにあった。ブラジルのワールドカップでの3回の優勝も、ペレの名前なしに語ることはできなかった。
しかし、今回のワールドカップに、ペレはもう出場しないという。ブラジルのテレビや新聞が「ペレよ、帰れ」のキャンペーンを続け、1月の末にブラジルのサッカー協会であるCBD(ブラジル・スポーツ連合)は、ペレに「最後のお願い」をしたが、ペレは「もうサヨナラをいったじゃないか。私の決心は変わらないよ」と答えたという。
もし、ペレの決心が今後も変わらないとすれば、過去4回のワールドカップでペレがつけていたブラジルの栄光の背番号「10」は、誰がつけることになるのだろうか。パウロ・セザールだろうか、リベリーノだろうか。これも今度のワールドカップの興味の一つである。
ペレが身を引き、トストンが目の故障で使えなくなり、ジェルソンも姿を消した。これだけのスーパースターを失っては、ふつうの国なら再起不能というところである。
だが、ブラジルは違う。この国のサッカーは絶えず何かを生み出している。西ドイツのサッカーと違って、いくら情報化時代になっても、この国のサッカーを知り尽くすことはできない。なぜなら、ブラジルは次から次へと新しいスターを生み出すのだから――。
1958年のワールドカップで、当時17歳のペレがデビューしたとき、世界中のファンの中でこの無名の少年について何かを知っている人は、ほとんどいなかった。しかしデビューした翌日には、ペレは世界のスターになっていた。
1962年のチリの大会で、ペレが負傷してブラジルの優勝に赤信号がついたとき、代わって起用されたアマリルドも、当時、ブラジル以外の国では、まったく無名だった。そのアマリルドが「世界のペレ」の穴を雑作もなく埋めた。
1970年のメキシコ大会で全試合に得点をあげたジャイルジー二ョは、もう若いとはいえなかったし、1958年のペレや、62年のアマリルドのように無名のプレーヤーでもなかった。しかしジャイルジーニュが、あれほどのスーパースターであろうとは、誰も想像していなかっただろう。
このように、ブラジルは、無名の選手の中からも、時にはベテランの中からも、突然、新しいものを生み出す国である。
ペレのあとを継ぐものは、パウロ・セザールかも知れない。日本人の家庭に育ったというクロドアウドかも知れない。あるいは、いまのところは、まったく無名の少年かも知れない。いずれにしてもペレに代わる背番号「10」が登場しさえすれば、ブラジルはいぜん優勝候補である。
●カテナチオに賭けるイタリア
4年前のメキシコ大会とあまり変わらない顔ぶれで出てきて、メキシコ大会当時の戦術にさらに磨きをかけ、しかも前回よりも地の利に恵まれるチーム――それはイタリアである。
イタリアは前回、ウルグアイを破り、西ドイツを破り、決勝で「ペレのブラジル」に敗れて2位になった。しかし、そのブラジルにも昨年のはじめにブラジルが遠征してきたとき2−0で勝っている。あらゆる材料が優勝への可能性を指し示している。
イタリアのサッカーの特徴は、独特のカテナチオだ。カテナチオは、1960年代のなかばに、インター・ミラノがヨーロッパ・カップを制して以来、有名になったが、その真価は、まだ世界には知られていない。
カテナオチとはイタリア語で「カギをかける」という意味であり、それは厳重に守備を固めることを意味している。固いマンツーマンの4人のディフェンスの背後に、予備のディフェンス・プレーヤーがおり、ディフェンス・ラインの前面にも守備用の遊撃隊員がいる。この厚いディフェンスで失点を0に食い止め、攻撃の機会は少なくとも確実に1点をとる。これがカテナチオだ。
だが、カテナチオは、守備一辺倒のシステムではない。その真価は実は、破壊的なカウンターパンチにある。数少ないチャンスに、相手に致命的な打撃を与えるのでなければ、固いディフェンスも意味をなさないからだ。
プルグニキをかなめとする堅固なディフェンスから反撃の縦パスが出る。リベラの中堅戦車のような、すばやく力強いドリブルが中盤をつないでマッツォーラさらに最先端のリーバヘ。カテナチオの核弾頭であるあるリーバは、1人や2人のディフェンスははね飛ばしてでもゴールを襲う。カテナチオの真価は、この強力な核弾頭にある。
ワールドカップの歴史を振り返ると、世界のサッカーの技術と戦術は、4年ごとのワールドカップで総括され、ワールドカップがその後、4年間の世界のサッカーの方向を決定してきた。
1958年のブラジルの優勝によって、ブラジルの4・2・4は世界的な流行となり、WMフォーメーションは過去のものになった。
1966年のワールドカップで決勝を争った西ドイツのスイーパー・システムとイングランドの4・3・3は、その後に急速に発展した流動的なサッカーの基礎になった。1970年のメキシコ大会では、ブラジルが以前の4・2・4を完成させた形で、新しい4・3・3の典型を作った。
リーバとアナスタシ(あるいはキナーリャ)の2つの核弾頭を装備したカテナチオのサッカーは、今後の4年間の世界のサッカーの流行を作るかもしれない。もし、イタリアが優勝すれば――である。
●ドラマの交錯する25日間
オランダは、スペインのバルセロナに行っているヨハン・クライフを呼び戻し、カイザーとのアヤックス・コンビで攻撃的サッカーの旋風を巻き起こすことができるだろうか。
予選でイングランドを倒したポーランドの俊敏で鋭いサッカーは東ヨーロッパの新しい夜明けを告げるものだろうか。
1966年の大会で優勝候補イタリアを倒してベスト8進出した北朝鮮の役割を、今度はブラック・アフリカを代表して登場する新星ザイールが果たすのだろうか。
1958年以来、世界のサッカーの「王様」だったブラジルのペレに代わって、今後の世界のサッカーの「王様」になるスーパースターが、この大会で登場するだろうか。
あらゆるスポーツで「西」を圧倒している東ドイツが、ただ一つ残されたサッカーで、打倒西ドイツの夢を実現しうるだろうか。ドイツ東西の対決は、1次リーグの第1組、6月22日(土)にハンブルクで行なわれる。
実に、さまざまなドラマの交錯が、6月13日から7月7日までの25日間に、全地球を悲喜こもごもの興奮と熱狂で包むに違いない。 その前ぶれは、すでに始まっている。
ただ一つ、残念なことは、この世界最大の魅惑の大会が、日本にはテレビ中継されないらしいことである。
西ドイツの組織委員会が、NHKに示したアジア地域の中継権利金は、170万ドル(約5億1000万円)だったという。
一昨年のミュンヘン・オリンピックで、民放をも含めた日本でのオリンピックの全競技の中継権利金が105万ドル(約3億1500万円)だった。サッカーだけのワールドカップの国際的魅力は、オリンピックを大きく引き離しているのだが、そのために、テレビ中継の権利金は、日本の放送会社の手のとどかない高さになってしまっている。
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