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サッカーマガジン 1974年2月号
牛木記者のフリーキック

●杉山隆一君を惜しむ
 「そりゃ、ヤマハに誘われているって話もありますけど、うちをやめるのは決して引き抜かれたせいじゃないですよ。正真正銘、家庭の事情で、どうしても清水に帰らなきゃならなくなったんです」
 三菱チームの二宮監督が、けんめいになって、ぼくに説明した。杉山隆一君が天皇杯の終わった時点で、三菱をやめて静岡県清水市の実家へ帰る話である。
 杉山君に家庭の事情があることは、ぼくも知っている。
 ぼくが、杉山君をはじめて見たのは、彼が、まだ高校生のときだった。アジア・ユース大会が、まだはじまったばかりのころで、当時、ユース代表選考の資料にするために、各地域の高校選抜チームを集めた大会が夏休みに開かれていた。その第1回大会が藤枝であったときに、地元チームに、すばらしく足の速い左のウイングがいた。相手チームのバックのトリッピングで転倒し、足をかかえてうんうん、うなっていたので「やけに痛がる選手だな」と思った記憶がある。それが杉山君だった。
 杉山君の家は、清水で酒店をやっていて、リュウ坊は男兄弟がいないから店を継がなくてはならない、だから大学に行くのは、むつかしいという話を、当時、聞いた。しかし、あれだけの素材を高校だけで、おしまいにする手はないという関係者の説得で、明治大学に進学して、関東大学リーグの花形になった。東京オリンピックが近づいていたので、そのためにも、杉山君の才能が必要とされていたという背景もあった。
 明大を卒業するころにも、清水へ帰って家業を継ぐべきかどうかで悩んでいる話をきいた。そういう経過だったから、杉山君が三菱で8年間やってくれたのは、日本のサッカー界にとってラッキーだったのだ、というべきかも知れない。
 若いころの杉山君の華麗なドリブルは「逃げるドリブル」だった。相手のいない方へ、いない方へとボールをひきずって、ぱっと切り返して抜こうとする。ある外国人が「あのプレーはヨーロッパでは通用しない」と評したことがある。
 最近の杉山君は、中盤の円熟したプレーが高く評価されている。だが前線でのドリブルも変わってきたと、ぼくは思う。ジャイルジーニョのような、相手に「向かっていくドリブル」をしてチャンスを作る場面を、今度の天皇杯でも何度か見た。
 一昨年の5月に全日本から退いたとき、「まだまだ必要だったのに惜しい」と思った。家庭の事情とはいえ、今後、日本リーグで杉山君のプレーが見られなくなるのは、まったく惜しい。

●リーグの観客を増やす法
 1974年の日本サッカーの大きな課題は観客動員数を上向きにすることだと思う。「アマチュアだから、お客さんに見てもらわなくったっていいんだ」という関係者には、「そんなら入場料をとるのは、おやめなさい」といいたい。試合を見る人、チームを応援する人を増やすことは、アマチュア・サッカーの普及のためにも、競技水準の向上のためにも必要である。
 日本リーグでは、またも「試合内容を充実させることが先決で、そのためにリーグでジュニア選手の研修会をやる」といっている。日本リーグが発足した当時なら、コーチ陣のレベルが、ひどく低いチームもあったから、リーグでまとめてトレーニングするのも、一つの方法であったかも知れない。しかし、もうその段階は卒業していい時期ではないか。
 ぼくの考えでは、ジュニアの強化合宿やコーチの研修会は日本蹴球協会がやるべき仕事である。リーグは、協会の仕事に出来るだけ協力すべきだけれども、協会の仕事を横取りしなくてもいい。
 日本リーグの競技水準の向上は 一つ一つのチームが、自分自身の努力で強くなること以外にはない。三菱も、日立も、ヤンマーも藤和もそうしてきた。それぞれのチームが独自の個性あるサッカーを育てて競い合うことの中から繁栄が生まれてこそ本物だ。
 観客を増やす直接の方法は、いうまでもなく、入場券を売ることである。一時的なブームが、ぱあっとわいて、“フリの客”が競技場に集まるのを期待していてはダメだ。入場券は努力して売らなくてはならない。
 問題は、だれが努力して入場券を売るのかである。いまの日本リーグ1部では、リーグの事務局が全部の試合の入場券をまとめて印刷し、売上げは全部リーグに吸い上げられている。したがって努力して入場券を売るのは、リーグそのものの責任というほかはない。
 しかし前にも書いたことだけれど、入場券を売るのは本来、ホームチームの仕事である。入場料収入もホームチームのものである。地元のチームが地元の人たちに切符を買ってもらう努力をすることによって、自分たちの試合の経費やトレーニングの費用を作ることが出来るし、チームと観客のつながりも生まれる。だからこそ、努力して入場券を売る甲斐もある。
 外国では、入場券を売るのはホームチームの仕事であり、入場料収入はホームチームのものになる。河原で試合をしているような田舎チームでもそうである。観客を増やす法の原点は、地元チームが切符を売ることだと思う。

●協会の法人化はどうなったか
 日本蹴球協会を公益法人にする話は、いったい、どうなっているのだろうか。協会が法人化を公約して、もう5年越しではないか。
 日本蹴球協会は、日本のサッカーの総元締として大きな顔をしているが、法律上の組織は任意団体で、いわば好きな者が集まって作っている町のサッカークラブと、たいした違いがないらしい。これを財団法人にして社会的に責任体制のしっかりした組織と運営をしようということなのだが、これがなかなか、うまくいかない。スポーツの振興は公共的な事業として、政府などの補助金の対象になっているから、それを受けとる団体が無責任体制では困る、早急に法人化してほしいという文部省などの助言もあるのに、サッカーは、ぐずぐずしている。あとから準備をはじめたバレーボール協会の方が、先に財団法人になった。
 聞くところによると、最後のつめにきてもたついている原因は、人事だそうだ。
 財団法人になると、理事の数は24人に制限される。はじめは地方代表の理事をやめようとして地方のサッカー協会の総反撃にあい、地域の代表9人は残すことになった。残りは14人である。
 この14人の中に会長と副会長をいれなければならない。現在、会長1人、副会長が3人いる。この数をそのまま残すとしてあと10人。
 サッカー界の現状からみて、日本リーグ、大学サッカー、高校サッカーの組織を代表しうる人を、1人ずつ加えるのが順当だろう。中学生以下の少年サッカーの担当者も必要かも知れない。計4人で残りワク6人。
 日本代表チームの強化は、協会のもっとも重要な仕事だから技術委員会の委員長は当然、理事会で発言権を持つべきである。審判統制の担当者も理事にするとすれば、残りワクはあと4人。
 この4人の中に、たとえば国際的な渉外事務を担当している岡野俊一郎氏のような若手を加えなければならない。そうすると、どうしても古くから協会にいる年寄りの理事が、はみ出してくる。それで調整がつかないのだという。
 具体的に人名をあげると、野津会長を名誉会長に、篠島副会長を会長に、竹腰理事長を副会長に格上げしようという案があったが、野津会長自身が強く反対した。現在の協会の実力者である小野常務理事の出した案は、現体制をそのまま維持するものだったそうだ。
 そんなに、いろいろわずらわしい問題かあるのだったら、いっそのこと理事に60歳定年制を採用してはどうか。定年後も、大所高所からのアドバイスは出来るんだから。


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