アーカイブス・ヘッダー
     

サッカーマガジン 1968年4月号

メキシコとそのあとは……
竹腰理事長に協会の方針をきく  (2/2)  

コーチ制度をしっかりと
―― 次に、将来のための計画で、いちばん基礎になるのは、コーチ制度だと思うんですが……。

竹腰 コーチというものは人を教えるのが仕事だから、それだけの能力があり、教育を受け、自分でも勉強してもらわなくてはならない。またそれだけの能力を持った人には、協会でチャンスを作ってあげて、コーチの資格を保証してあげようじゃないか、ということです。OBがただ自分の経験だけで、後輩のところへ口を出すのでは、むやみに棒をもってたたく、ぐらいのことしかできなくなってしまいます。サッカーがそれだけ高度になっているわけです。
 小学校を卒業したからといって小学校の先生になれるわけではない。教育系の大学で専門訓練を受け、免状をもらわなければ、世間は学校の先生として信用してくれないでしょう。サッカーのコーチも、同じように権威のある資格制度を確立しようということです。こういうスポーツのコーチ検定制度は、外国には以前からあるものです。

―― 日本では具体的には、どういうふうにして始めますか?

竹腰 技術指導委員長をしている長沼健君(日本代表チーム監督)が、2月中旬から勤め先の古河電工の深いご理解によって、1年間、サッカーのために自由に働いてもらえることになったので、この期間に、じっくり準備をして、43年度から実施したい。これは急がなければならないが、やるからには、最初から、内容をきびしくして、いいかげんでないものにしたい。
 これはこれからコーチをする人のためのテストであって、これまでに功労のあった人を表彰する勲章ではないのです。だから乱発するわけにはいきません。具体的な内容は、これから立案して、クラーマーさんにも相談することにしているが、サッカーの経験のある人を対象に講習会を開いて、講習の済んだ人にテストを受けてもらったうえで、ライセンスを出すことになるでしょう。
 講習とテストは、実技と学課の両方をふくんでいて、実技のほうは、プレーをやってみせるだけの技術と、教えるテクニックということになる。学課のほうには、コーチとして必要最少限の生理学、心理学、救急法などの知識と応用がふくまれることになるでしょうね。名選手だというだけでは、コ一チの資格はないし、学者だから名コーチになれるのではないわけです。

―― すばらしいアイデアですが、実施には、かなり抵抗があるでしょうね。現に名選手だったというだけでコーチの座についている人がいるだろうし、サッカーの経験のない高校の先生が、チームを高校選手権優勝にまで育てたというような例がありますから……。

竹腰 協会のテストを受けない者は、サッカーを教えてはいけないと、いうのではないのです。だから、現在コーチをやっている人、業績をあげている人が困ることはないはずです。ただ、協会の公認コーチの資格を持った人なら間違いない、というふうに世間に認められれば、将来はライセンスを持った人をコーチにたのむチームがふえてくるだろう。また、これからの若い人は、勉強してコーチの資格をとろうという気になるだろうと思います。
 だからコーチ制度を作る以上は、はじめから、きびしい内容のものにしたいと、話し合っているわけです。コーチ制度が軌道にのれば、少年たちから一流選手まで一貫した方針で正しいサッカーを指導することができるし、協会に専任コーチをおいて、各地域を回らせることもできます。その中からプロ・コーチが出てくる可能性もあります。


クラブ組織で普及を

―― このほかに、1小学校区にひとつずつサッカー・クラブを作るとか、昨年に引続いて、サッカー少年団の全国大会を開くというような普及面の対策がありますね。

竹腰 ひとつの小学校ごとに、ひとつずつサッカー・クラブを作ろうというのは、ことしはじめて打ち出した考え方ですが、これには、いろいろなねらいがあります。ひとつにはグラウンド難を打開するために、小学校の校庭を利用すること、それには、その小学校の学校区内の人たちで、責任の持てる.組織を作らなければならない。もうひとつは、スポーツは、近くに住んでいる人たちが集まってやるのが、いちばんいい形だということです。
 現在のサッカー・チームは学校教育の範囲の中で学生だけがやっているとか、同じ職場のものだけでやるという形ですが、外国のように、地域的な特色を出したクラブが、もっと出てこなければいけないと思う。もっとこういう形で普及させて大衆的な盛り上がりを期待したい。
 これは、ことしから全国いっせいに、というわけにはいかないので、地域の体育指導者の集まりを開いて、どういうふうに進めるか、ご意見をききたい。とりあえずモデル・スクールのようなものから推進してもよい。これは少年たちばかりを対象に考えているのではなく、ひとつのクラブに、おとなのチームもあっていいし、少年チームもあっていいのではないでしょうか。


協会への注文 ― 日程やカップ制など
―― オリンビックだけに目を向けずに、これだけ広い視野で “将釆の計画”を立てたのは立派だと思います。これは、ぜひ実行していただきたい。最後に注文といいますか、ことしの事業計画の中にはいっていないことで、日本蹴球協会に、ぜひ考えてもらいたいことをひとつあげて、ご意見をうかがいたいのです。
 それは競技会の日程の問題で、これにはいろいろあるのですが、ここでは天皇杯全日本選手権のやり方について、うかがいます。
 現在は日本リーグの上位4チームと大学選手権の上位4校に出場権を与えていますが、これでは末端のチームには天皇杯に挑戦するチャンスがないわけです。かりに東京リーグの3部に新加盟したチームがあったとして、これが連戦連勝を続けたとしても、天皇杯を獲得するには5年かかる。リーグは同じ程度の力のチーム同士で争う一つの組織として、天皇杯は、末端のチームにも、同じ年度のうちに挑戦の機会のあるカップ・システムの別の大会にすべきではないでしょうか。外国ではリーグとカップは別々です。協会加盟の末端のチームが、天皇杯を通じてトップ・レベルにまで、つながっているということは、技術向上ということを離れて、サッカーというスポーツの精神というか、立て前からみて、大切だと思うんですが、どうでしょうか。

竹腰 日本のサッカーも、ヨーロッパのようなリーグとカップの二本立てにしたいという考えは、理想としては持っています。ただ現状は日本リーグからはじめて、リーグ制を地方にも及ぼしていこうという段階で、まだその時機ではないと判断しているわけです。天皇杯については、昨年度に古河電工などの出場辞退があって、新聞紙上でとりあげられたので、説明しておきたいと思います。
 協会としては、天皇杯を単に、日本一を決めるためだけの大会であるとは考えていません。現在、日本リーグと学生の上位がともに、第一線の力を持っているけれども、おたがいに試合をする機会がない。そこで天皇杯で修練の場を与え、おたがいに腕をきそってサッカー技術の向上に役立てるのが趣旨です。両方の上位4チームずつに出場権を与えているのも、そういう理由からです。
 ただ、日程については社会人の側から、1月〜3月は、オフシーズンにしてもらいたいという要請が出ていました。そこで次回からは12月中に、準々決勝と準決勝をやり、1月1日に国立競技場で決勝をやるという日程を組んでいます。そして少なくとも準々決勝は、どちらかのチームの地元に会場を分散してやるつもりです。


むすび
 日本代表チームから少年サッカーまで、高い頂点から広い底辺まで、一貫した指導普及の仕事を進めて、日本のサッカーに“ビッグ・スポーツヘの道”を歩ませよう ―― これは竹腰理事長だけでなく、野津会長も、長沼、岡野、平木ら若手コーチ陣も、日本蹴球協会の人たちが、みな固めている強い決意である。
 9年前、ローマ・オリンピック予選に負けたことがきっかけになって、クラーマー・コーチが招かれ、日本のサッカーは再建第一期を迎えた。
 ことし1968年は、再建第二期が具体的に第一歩を踏み出す年になるのではないか。

前ページへ


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ
次の記事へ

コピーライツ