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サッカーマガジン 1966年10月号

ワールド・カップ1966総決算(2)  (4/4)    

7月28日(木)
▽3位決定戦(ウェンブレー)
ポルトガル 2(1−1 1−0)1 ソ連

 優勝の望みを絶たれたチーム同士で、気の抜けた試合になったのは、やむを得ないところだろう。
 7万の観衆は、ほとんどオイセビオだけを見に来ていた。彼は前半13分PKで1点をあげ、今大会の得点は通算9点となり、得点王が確実となった。得点王には100万円の懸賞が出ている。
 しかし、オイセビオは、この日は他のポルトガルの選手と調子を合わせて、おだやかな試合をした。ソ連のワロニンにぴったりマークされ、ムリをしなかった。
 ソ連は前半終了1分前に1点を返し、後半も単調な試合が続いて延長戦かと思われた。しかし後半43分にポルトガルはトーレスが決勝点をあげて3位を確保した。


7月30日(土)
◇決勝戦(ウェンブレー)
イングランド 4(1−1
1−1 1−0 1−0)2 西ドイツ

 サッカーの母国イングランドがついに宿願を達する日が来た。
 その日、朝のうちは晴れていたが、午後2時のキック・オフの30分前から黒い雲がロンドンの空をおおい、にわか雨が降った。
 競技場は、もとより満員、9万7000の観衆がひしめいている。貴賓席にはエリザベス女王ご夫妻、ウィルソン英首相の姿も見える。
 雨があがり、試合は西ドイツのキック・オフで開始された。
 西ドイツは白シャツに黒のパンツ、イングランドは赤いシャツに白のパンツである。
 とにかく、それはすばらしい試合だった。技巧の点では世界最高級のサッカーとはいえなかったにしても、双方とも最後の気力をふりしぼるまでスリルにあふれた劇的な戦いをした。激しかったが、しかし、きれいな試合だった。
 双方とも守備が固く、ほとんどミスをしなかった。だが、わずかでもミスがあれば、攻撃のほうがそれを見のがさず、すかさずつけこんでゴールを襲った。
 先取点は西ドイツだった。前半12分ヘルトがゴール前へ送球、イングランドのFBウィルソンのけり出したのがミスとなり、ヘラーがすかさず決めた。
 しかしイングランドも17分中盤のフリー・キックからチャンスをつかみ、ハーストが相手守備陣の意表をついた動きで右から走りこみ、ヘディングで1−1の同点とした。
 ハーフ・タイムのころ、雨が再び降り出したが、すぐにやんだ。
 後半はイングランドが先に点を取った。32分左コーナー・キックがドイツの守備を越えてハーストに飛び、ハーストのシュートをシュルツがはね返したところをペータースが拾って決めた。
 2−1でイングランドの優勝が決まったかに見えた。しかし、西ドイツは最後まで望みを捨てなかった。試合終了の30秒前、西ドイツはサイドからのフリー・キックのあとウェーバーが混戦の中から同点のゴールを決めて延長に持ち込んだ。
 延長戦になって、さすがに双方とも疲れがめだった。とくにドイツのほうは気力で戦い続けているようだった。
 延長前半11分、イングランドの勝ち越し点は、やや危なかしいものだった。ハーストの強シュートがバーの下側をたたいて落ち、落下点はほとんど確認できなかったが、ボールは場内にはねかえった。ディエンスト主審(スイス)はバカラモフ線審(ソ連)の判定を入れて、ゴールを宣した。
 延長後半終了の寸前にもハーストがダメ押し点をあげ、イングランドの優勝が決定、ハーストはこの日3点をかせいでイングランドの立て役者となった。
 双方の選手たちは、スタンドの貴賓席の前まであがり、イングランドの主将ボビー・ムーアが、エリザベス女王から、純金のジュール・リメ杯を受けた。
 これこそ英国民が熱望してやまなかったものだった。サッカーを生み、それを世界に広めたことを誇りとする彼らが、世界一のシンボルをいまだ1度も手にしないことは、がまんのならないことだったのである。
 その夜ロンドンの町は、お祭り騒ぎだった。
 町のまん中でダンスをする者がいた。トラファルガー広場の噴水で水をかけあう娘たちがいた。
 市民たちは「イングランド、イングランド」と叫びながら、選手たちの慰労夕食会の行われているホテルへ行進し、ま夜中まで立ち去らなかった。
<つぎは4年後メキシコで開催> (了)

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