アーカイブス・ヘッダー
     

サッカーマガジン 1966年9月号

ワールド・カップ 予選リーグ総決算  (1/3)  

 ロンドンのウエンブレー競技場を中心に開かれたサッカーの世界選手権、第8回ワールド・カップは、狂喜と落胆、興奮とスリルの3週間だった。地元ロンドンだけでなく、モスクワでも、南米のリオ・デ・ジャネイロでも、またジャカルタでも――人々は世界中いたるところで、ひとつひとつの試合に一喜一憂した。最高の技術でちりばめられたこれらの試合の全貌を、日を追ってお伝えしよう。
 ワールド・カップは4年に一度オリンピックの中間年に開かれる。これはオリンピックと同じくらいの、いや、サッカーの世界では、オリンピックをはるかにしのぐスポーツの催しなのだ。なぜなら、この大会は、アマチュアだけのオリンピックと違って、プロも出場する大会であり、技術水準の点では、疑いもなく世界最高の争いだからだ。ブラジルのペレ、ポルトガルのオイセビオ、スペインのデルソル――契約金数億円といわれるスターたちが、名誉のために、ここに集まるのだ。
 ことしのワールド・カップは、サッカーの母国イングランドで開かれた。(イギリス=グレート・ブリテン=は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4地域から成っているが、サッカーでは、この4地域はそれぞれ独立しており、別々の協会が統制している。従って、大会開催を引受けたのも、また地元として参加したチームも、イギリスではなくイングランドなのだ)
 3週間にわたる大会の観客総数は200万、入場料収入は17億〜20億円。50カ国に中継されたテレビの視聴者は5億人と推定された。これらの数字は、いずれもオリンピックを上回るものである。
 大会参加チームは16カ国。前回優勝のブラジルと、開催地元のイングランドのほか、2年がかりの予選を経て、70カ国から選ばれた14カ国である。16チームを4つのグループに分けてリーグ戦を行ない、各組上位2チームずつが準々決勝に進出することになっている。
 優勝チームには、ジュール・リメ杯が渡される。これは高さ約30センチの純金の女神像である。この大会に3回優勝すれば、女神像は永久にその国の所有になることになっている。
 ウルグァイ、イタリア、ブラジルの3カ国が、これまでに2回優勝して、女神像を永久に獲得する機会をうかがっているが、中でもブラジルの3回連続優勝は、非常に有望だといわれていた。
 開催の前日、ロンドンのブッキー(公認の賭け屋)が発表した賭け率は、下の通りである。7月10日にポルトガルの優勝に100円を賭けた人は、予想が当たったとき、2200円の配当になるわけだ。ブラジルが本命で、地元イングランドがこれに次ぎ、北朝鮮やメキシコにはほとんど望みがないとみられていた。

開催直前の優勝への賭け率 (7月10日現在 ロンドン)
ブラジル 2−1
イングランド 4−1
イタリア 7−1
アルゼンチン 9−1
西ドイツ 10−1
ソ連 11−1
ハンガリー 22−1
ポルトガル 22−1
スペイン 25−1
フランス 33−1
ウルグァイ 40−1
ブルガリア 66−1
チリ 65−1
北朝鮮 100−1
スイス 150−1
メキシコ 200−1


7月11日(月) 開会式
 
ワールド・カップの開会式は、ロンドンのウエンブレー競技場に、エリザベス女王ご夫妻をお迎えし、約10万の観衆を集めて行なわれた。午後5時30分、暖かい日差しの明るい夕方だった。
 16カ国の旗がひるがえり、ファン・ファーレが響いて、地上最大のスポーツ・ショウは、3週間にわたる熱狂の幕をあけた。
 エリザベス女王が開会を宣言。
 「この大会のために訪れたすべての人々を歓迎し、わたくしたちが、すばらしいサッカーを見るであろうことを確信します。ここに第8回ワールド・カップの開会を宣することは、大きな喜びです」。
 10万の観衆の中には、100カ国以上の国から来た人たちがいた。
 開会宣言の15分後、午後6時30分にイングランドのボビー・チャールトンが、最初のキック・オフのボールをけり、第1戦がナイターではじまった。

▽A組リーグ(ウェンブレー)
イングランド 0(0−0 0−0)0 ウルグァイ
 
 開幕早々にロンドンっ子は、大きな失望を味わった。ブラジルとともに優勝を争うと信じていた地元イングランドが、あまりマークされていなかった南米のウルグァイと引き分けたのである。イングランドは、立ち上がりの4分間に3つのコーナー・キックを浴びせたのをはじめ、終始押し続けたが、ウルグァイの守備はすばらしかった。イングランドがゴール前にあげた絶好の高いボールは、長身のゴンカルベスがよく防いだ。後半にボビー・チャールトンらの強烈なシュートを、キーパーのマズルキエビックが再三の美技ではじき出した。
 はじめ地元を声援していた観衆は、終りごろには激しいヤジで味方を非難した。批評家たちは「今度の大会では、こんな守備的な試合が流行して、サッカーの魅力が失われるのではないか」と心配しているが、これが当たっていたかどうかは、翌日の試合でわかる。

7月12日(火)
▽ B組リーグ(シェフィールド)
西ドイツ 5(3−0 2−0)0 スイス
▽ C組リーグ(リバプール)
ブラジル 2(1−0 1−0)0 ブルガリア
▽ D組リーグ(ミドルスボロ)
ソ連 3(2−0 1−0)0 北朝鮮

 批評家たちの心配はムダだった。2日目の試合は三つとも、スピードのある攻撃のサッカーだった。
 注目のブラジルは、フリー・キックから2点をあげた。ともにペナルティ・エリアから約2メートルの外側で、“世界一”のペレに対する反則によるもの。前半16分の1点目はペレが、後半19分の2点目は32歳の老巧ガリンチャがけった。どちらもボールはゴール前に立ち並んだブルガリア守備陣の頭上をかすめ、鋭くまがってキーパーの虚をついた。足わざの強さと巧妙さは、やはり一流である。
 人目を驚かせたのは、西ドイツの勝ちっぷりである。相手のスイスは16チームの中でも、もっとも弱いほうであるとはみられていたが、それにしても、西ドイツの力強いオープン攻撃は、スイスの守備陣を完全に混乱させていた。
 アジアから出たただひとつのチーム北朝鮮は、初戦を失ったが、試合ぶりは高く評価された。スピードの変化や意欲的なタックルは、少なからずソ連を悩ませた。しかしソ連は、前半31分と32分に立て続けに2点をあげ、後半43分にもダメ押しした。

 


アーカイブス目次へ
次の記事へ

コピーライツ