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サッカーマガジン 1966年12月号

【座談会】
アジア大会に日本はいかに戦うか
 (1/4)  

日本サッカーが “優勝” の願いをこめているアジア大会は目前だ。どう戦うのか、権威者にお集まりいただいて、この問題を検討してもらった。

【出席者】
岡野 俊一郎 氏 (協会技術委員)
高橋 英辰 氏 (第4回アジア大会監督)
浅見 俊雄 氏 (国際審判員)
牛木 素吉郎 氏 (読売新聞運動部記者)

ズバリ優勝は……?

牛木 今度のアジア大会に対して、いままでとは比べものにならないくらい国民の期待が大きいんじゃないかと思うんです。たまたま1962年のジャカルタヘ行く前に、高橋さんなんかを呼んで座談会をやりましたね。このときの見出しが「メダルを目標に」ということだったんです。だから何とか3位に入ればいいという程度だったわけですが、今度は、優勝しなければ困るというムードがあるんじゃないですか。

高橋 優勝しないといかんといわれると、ちょっと困るけれども。(笑)

牛木 岡野さん、どういうところを差し当たって目標にしているんですか。

岡野 それはワールド・カップにしたって、かりにもう1回やったらイングランドが優勝するかどうかわからないわけですよ。だからアジア大会だって、やってみなければわからないのであって、ただ希望としたら優勝しようということです。

浅見 まあ、メダルは取れるだろう。

岡野 金か銀か銅か。

高橋 それは3位までは確実に入れる。

岡野 とにかく決勝へ行きたいということ。


試合の方法と参加国

牛木 大会のシステムというか、どういうやり方でやるわけなの。

岡野 今度は参加国の数によってやり方が変るんだ。13カ国以上だった場合は4グループでリーグ戦。そして各グループから上位2チームが出て、準々決勝からトーナメントでやる。12チーム以下なら3グループに分けて、上位の2チームを出して6チーム。それを二つに分けて3チームずつで総当たりをやって、勝った同士が決勝をやるんだ。参加チームの数はまだわかっていない。最終締切が10月の28日だから。

牛木 どのくらい出るかな。

岡野 13から15の間じゃないかと思う。

浅見 そうすると4グループか。

牛木 まずグループ戦で勝たなくちゃいけないということだね。

岡野 ぼくは13以下のほうがいいと思っているんだ。というのは、ノックアウト式のトーナメントが少なければ少ないほどいいということになる。実力が出てくるから。(笑) 一発勝負だったらこわいもの。

高橋 フロックということがあるからね。

牛木 今度はそれだけ日本チームに自信といったものがあるというわけか。

高橋 力はついてきたからね。


チームカはあがった

牛木 この前のジャカルタのアジア大会に高橋さんがいらしたときは、東京オリンピックの2年前で、オリンピックに対して選手を編成する途上であって、あまりいい条件とはいえなかったわけでしょう。あのときと比べていまの日本チームの、力の上がり具合というのはどうですか。

高橋 力はずっとまとまってきてると思う。あの当時もぼくは、多少上がってきたと思うんですよ。もうムルデカヘ3回か続けて行ってたでしょう。そして向こうの国の感じ方にしたって、日本に対する警戒の仕方が、その3年間にものすごく違ってきてるわけです。初めはお世辞に日本は強くなった、強くなったと、それも試合ぶりがフェアになったとか、そんなことでほめるしかなかった。それが2回目になってくると、ほんとにだいぶ強いから危ないぞといういい方になる。3回目のときは来年からもう、強いから絶対かなわない。こういうような調子で上がってこられたら、われわれはとても勝てないということをいっていました。だからいまやわれわれは、一番狙われるほうの本命になってきているんですよ。非常に力は上がっています。

牛木 顔ぶれとしては、そう大きくは変わっていないでしょう、4年前とでは。釜本が全く新たに登場して、それに小城……

岡野 横山。

牛木 山口。

高橋 ぼくはきょう4年前の報告書をちょっと見てきたんです。そうしたら半分は減りましたよ。キーパーの保坂とか、それからバックで高森ね。小沢、河西、平木。フォワードは割に残ってるけど。

牛木 ジャカルタのアジア大会より前のときには、ムルデカヘ行っても東南アジアに勝つことはむずかしかった、だけどジャカルタに行くときは、ひょっとしたら勝てるんじゃないかという気分があった。しかしやっぱりさっきいったように、3位が精いっぱいという感じだったでしょう。それが翌年のムルデカですか、2位になったの。

岡野 そう、63年。4勝1敗1引分。あのときに自信をつけたんですよ。それまでやっぱり八重樫とかベテランの連中が、ずっと東南アジアに勝てなかったので、もういまなら勝てるんだと思っていても、いざ試合をやるときになると心の中に幾分かは、負けるかもしれないという気持があるわけだ。ところが釜本とか横山、小城、ああいう若い連中は、ヨーロッパであれだけやったんだから、負けるわけがないじゃないかという気持なんだね。(笑) つまり古い連中のほうもあそこでもう勝てると思って、コンプレックスからあるていど抜け出てきた。そこへ新たに入ってきた若い連中は、コンプレックスなんて全くないわけだ。そうなれば上がってくるよ。

高橋 八重樫なんかはコンプレックスが身についちゃって。(笑) 釜本みたいに伸び伸びして、おれは点が取れるんだというやつが入ってるから、非常にプラスだね。

牛木 横山、小城、釜本というのが、そういう点では全く……。

岡野 ぼくは正直にいって、初めてムルデカに行ったのが63年だよ。ヨーロッパに行ってクラーマーさんの指導なんか受けて、いろいろ試合も見て東南アジアヘいったでしょう。向こうの試合を見て、何だ、こんな古いサッカーをやってるのかという気がした。それはうまいですよ、みんな。うまいけど、チームとして見たら古いサッカーなんだ。そのときにおれ、竹腰さんにこんな古いサッカーやってるんですかといって怒られたけどね。(笑) 生意気いうんじゃないって。

高橋 向こうの頭でいくと、何をこいつらやってるんだろうというような古いサッカーなんで、かえって戸惑うことがあるけどね、プレーヤーたちは。そういうのに、変にひっかかっちゃうと心配だなという感じも多少あるんですよ。だから必ず優勝できるといえないのは、そのへんにあるんです。

 


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