■サッカーとビールを楽しむファン・フェスタ
ドイツ大会の特徴に、各都市で開かれていた「ファン・フェスタ」と名づけられたイベントがある。大型映像による試合中継(パブリック・ビューイング)を中心に、大会の公式スポンサーや各開催地が募ったローカルスポンサーのイベントや飲食売店などで構成されていた。地元市民はもとより世界中から集まったサッカー・ファンが、サッカーとビールを思いっきり楽しめるスペースになっていたようだ。
しかし、残念ながら、ぼくは、ファン・フェスタの会場で、試合のパブリック・ビューイングを楽しむことができなかった。準々決勝の日、いずれも夕方5時からの第1試合をスタジアムで観戦した後、夜9時からの2試合目をパブリック・ビューイングで見ようと思っていた。しかし、観戦した2試合はともに延長、PK戦になり、試合終了が遅くなった。そして、ぼく自身も観戦に疲れ果て、ファン・フェスタに行く気力がなえてしまったからだ。
それでも、ベルリンとドルトムントではスタジアムに行く前に、少しばかりその雰囲気に触れることができた。ミュンヘンでは、ファン・フェスタの会場となったオリンピック公園に、また、フランクフルト、ケルンでも、試合のない日ではあったが、会場に行き、イベントの様子を想像してみた。
ファン・フェスタは、世界から集まったサッカー・ファンが交流する場としては、きっとスタジアム以上の効果があったのではないか。また、ファン・フェスタがあることで、チケットを持たずにドイツに来たサポーターが、無理してダフ屋からチケットを買う必要がなくなった。ドイツ大会の闇チケットの値段が思ったほど高騰しなかった理由だろう。
■ファン・フェスタのみなもと
このファン・フェスタも、考えてみれば、これまでのワールドカップやオリンピックなどのビッグイベントでの経験の積み重ねがあってできあがったものだ。
ワールドカップではじめて大掛かりなパブリック・ビューイングがおこなわれたのは、1986年のメキシコ大会だった。それ以前も、街頭テレビのようなものはあっただろう。しかし、メキシコ大会では、チケットを買うことができない市民のために、メキシコ・シティの広場に大型映像装置が設置された。その後の大会でも、パブリック・ビューイングがあったが、いずれもチケットを手に入れることができなかった地元のファンのためのものだった。
そんな流れのなかにあって、ユーロ2004ポルトガルで開催された、リスボンのファン・パークは、大会公式グッズショップやスポンサーブース・飲食売店とともに大型映像装置によるパブリック・ビューイングの3つが揃っていたという点で、今大会のファン・フェスタの原型といえるのではないか。また、オリンピックのときに開催都市の中に設けられることの多い、スポンサーの展示ブースやパブリック・ビューイングなどから構成される特設イベント会場(=オリンピック・パーク)も、ドイツのファン・フェスタのみなもとといえるだろう。
ベルリンでは、ブランデンブルグ門からの大通りにいくつもの大型映像スクリーンを設置してファン・フェスタの会場にしていたが、これは、2002年大会のときの韓国・ソウルや光州での、市内の大通りを封鎖しておこなった大規模なパブリック・ビューイングがヒントになったのではないか。
■こまやかなホスピタリティ
ファン・フェスタという組織委員会による大規模なホスピタリティとは別に、日常の中にこまやかな配慮もあった。
今度の旅行中、中間の4日間は、ドルトムントやゲルゼンキルヘンに近いエッセンという街に滞在した。ホテルのフロントには、近郊の会場である、ゲルゼンキルヘン、ドルトムント、ケルンのスタジアムへの行き方を書いた手作りと思えるようなチラシが用意してあった。今度の旅行で、ぼくは地図も辞書も持たずに日本を発ってしまったため、こういうのは大助かりだった。
毎日、おいしい朝食をいただいたレストランのテーブルシートももちろんワールドカップ仕様だった。こういったことは、1990年イタリア大会や1998年フランス大会のときもいたるところで見ることができた。2002年大会の日本に限って、やけに組織委員会の規制が厳しく、ホスト国としてのささやかなサービスまでもが制限されていたのだ。
■ドルトムントの赤絨毯
準決勝を観戦したドルトムントの街での心遣いもうれしかったことのひとつだ。ドルトムントの駅から地下鉄でスタジアムに向かうつもりでいたが、なぜか楽しげな大きな人の流れにのって、歩き出してしまった。道々にソーセージを焼く匂いが漂い、それを追いかけていけばスタジアムにたどり着けそうだった。しかし、ドルトムントの街にはもっと素敵な仕掛けがあった。
途中にあった道案内で、スタジアムへの道筋を尋ねると、「あの赤い絨毯のとおりに行きなさい」というではないか。確かに、ちょっと薄汚れてはいたが、駅近くの目抜き通りからスタジアムまで、赤い絨毯がしっかりと敷かれていた。
世界から集まったサッカー・ファンを赤い絨毯でスタジアムまで導くなんて、なんてしゃれているのだろう。ぼくは、このアイディアに感動し、ドルトムントという街がすっかり好きになってしまった。
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