■合言葉は「54、74、90、2006」
今度のドイツ大会の印象を一言で言うならば、「歴史を感じた大会」である。
開幕直前に、新しくオープンしたベルリン中央駅の吹き抜けには、大会の公式スポンサーであるコカ・コーラの大きな広告バナー(垂れ幕)が吊るされていた。そこに書かれていたメッセージは、“1954BERN、1974MUNCHEN、1990ROM、2006HIER”
だった。
西ドイツがワールドカップで優勝した1954年スイス大会(ベルン)、1974年西ドイツ大会(ミュンヘン)、1990年イタリア大会(ローマ)の、3度の年と決勝戦がおこなわれた都市を並べ、その最後に、2006年は「ここ」(ベルリン)、というわけである。過去の栄光を思い出させて、ドイツ国民を、ベルリン市民を鼓舞しようとする明快なメッセージだ。スタジアムでドイツ人が調子よく口ずさんでいた歌のタイトルも、「54、74、90、2006」だった。
■街にあふれるサッカー史
フランクフルト中央駅の構内には、サッカー専門雑誌「キッカー」が、写真パネル展を設けていた。過去のワールドカップでのドイツチームの歴史的シーンを1大会につき1カットずつ、解説をつけて展示していた。それぞれの大会でのドイツチームの喜びや悔しさを、たった1枚の写真が雄弁に語っていた。
ベルリン市内には、フランスのレキップ紙の古い写真がたくさん飾られていたショーウィンドウがあった。ジュール・リメ、ミッシェル・プラティニ、エリック・カントナらの写真があった。そこはフランスの観光局のようだった。また、
準決勝、ドイツ対イタリアの日、ドルトムントの目抜き通りの百貨店の軒下には、両チームの写真が、過去の戦績とともに飾ってあった。
歴史を知ることによって、現在おこなわれているワールドカップの重みや試合の意味合いをより深く理解することができる。大会を開催することや試合に勝つことの喜びがさらに増すことだろう。
本屋ではサッカーやワールドカップの本が山積みになっていた。日本に近い現象だと思った。イタリアでも、米国でも、フランスでも、韓国でも、こんなことはなかった。
「勤勉さ」が共通していると言われる日本人とドイツ人。本屋の風景を見て、「なるほど、こういうところが似ているんだな」と思った。
■ベルリンのスタジアムに漂う70年の風格
スタジアムもまた歴史ありだった。最初に訪れたベルリン・オリンピック・スタジアム。1936年ベルリン・オリンピックのメイン会場である。もちろん、改装を重ねて現在にいたっている。今度の大会のために、観客席をカバーする屋根が、外観を損なわないように、つくられた。
入り口に高くそびえる五輪のマーク、マラソンゲート側にあるベルリン・オリンピックのメダリストが刻まれた壁、そして石造りと思われるスタジアムの外壁。なんとも言えない風格を感じた。陸上競技場兼用のため、サッカーの試合観戦には不向きではあるが、そんなことは感じさせないだけの雰囲気をもったスタジアムである。
訪れる前には、まったく期待していなかっただけに、ベルリン・オリンピック・スタジアムに漂っていた70年という歴史の重みを感じることができたことは、今度の旅のなかでも大きな喜びだった。
■1974年西ドイツ大会の面影
準決勝のドルトムント・スタジアムはいうまでもなく素晴らしいサッカー・スタジアムだった。1974年西ドイツ大会で、クライフを中心とするオランダが何度も大暴れした場所である。伝説となったスウェーデン戦でのクライフ・ターン、ブラジル戦でのフライング・ボレーシュートは、この場所で生まれたものだ。
四方を高くそびえるスタンドが囲む。記者席はバックスタンドにあり、その下に選手の入場口がある。選手たちは、ピッチを横断してメインスタンドの前までやってきて整列する。入場行進のFIFAアンセムをたっぷり聞けるスタジアムでもあった。
一方、ゲルゼンキルヘンとミュンヘンでは、最新鋭のスタジアムが今度の大会の会場となっていた。屋根が開閉式となっているゲルゼンキルヘン。センターサークルの上方に電光掲示板が吊るされていて、まるで体育館でバスケットボールの試合を見ているようだった。ミュンヘンのスタジアムは、その色が赤や青に変わる外観が注目されていた。しかし、外観の素晴らしさもさることながら、ピッチ全体が快適に見渡せるつくりになっていたのはさすがだった。
新しいスタジアムも魅力的だったが、ぼくにとっては、もうひとつのほうが気になってしょうがなかった。1974年西ドイツ大会の会場だったスタジアムだ。ゲルゼンキルヘンの新スタジアムの脇には、1974年大会で、オランダがアルゼンチン、東ドイツを破ったスタジアムが朽ち果てるように残っていた。1974年の決勝戦の会場、ミュンヘン・オリンピック・スタジアムは、今度の大会ではファン・フェスタ会場だった。ピッチの芝生は工事中だった。その大きな銀傘を目の当たりにしたとき、ぼくの両腕には鳥肌がたっていた。
初めてテレビでワールドカップを見た1974年西ドイツ大会の面影にふれることができたことは、ぼくにとってとても感慨深かった。
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