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ビバ!サッカー研究会・ワールドカップリポート
「歴史を感じた大会
     〜 ドイツ・ワールドカップを振り返る (その4)

文・写真:尾崎和仁、写真:藤間裕之

■2002年日本開催の記憶

仏経済誌チャレンジ  帰りのエール・フランス航空の機内で、サービスとしておいてあった「チャレンジ」というフランスの経済誌をながめていた。表紙にジダンの写真があったので、何かワールドカップに関する記事か写真でも載っているだろうと思ったのだ。案の定、ワールドカップに関する記事があった。

  その記事の中で、2002年大会は、優勝がブラジルで、開催国は韓国と書かれていた。日本の名前は載っていなかった。確かに、韓国でのグループリーグ3試合だけで、大会から去っていったフランスにとっては、日本の記憶がないのも当然かもしれない。

  そのエール・フランス航空の客室乗務員に、ドイツでの日本代表の試合を見に行ったという方(日本人)がいた。キャプテンに頼んで日本の試合のチケットを手に入れ、休暇をとって、住んでいるパリからドイツまで何度か足を運んだそうだ。日本が試合に負けてしまったのが残念だったのと、暑さにまいったと言っていた。聞けば、彼女は、2002年の日韓大会では、埼玉会場で通訳のボランティアをしていたという。

 
今回、ドイツを訪れたたなかで、唯一、2002年大会の日本の記憶に触れたのが、彼女の話だった。ドイツ大会のなかに日本開催の影響は何も感じられなかったし、フランスの雑誌からは開催国だったことが忘れ去られていた。そして、ぼく自身も、2002年に日本でワールドカップのサッカーを見た覚えはあるものの、スタジアムの外にあるべきワールドカップという世界最大のイベントを体験したという思いがあまりない。

 今回、 ドイツ大会の素晴らしさに触れたことで、2002年の日本のワールドカップの拙さがあらためて思い起こされた。2002年に日本で開催されたワールドカップとは、いったい何だったのだろうか。ワールドカップの歴史のなかで、どのように語り継がれていくのだろうか。


■さいごに

  1990年イタリア大会から5度目となる、現地でのワールドカップ観戦だった。回を重ねるにつれて、そして歳をとるにつれて、ワールドカップに対する感動が薄れてきているのがわかる。しかし、それでも、大会のたびに新たな発見があるのも確かなことだ。だから、ワールドカップへの旅はやめられない。

  次は、2010年南アフリカ大会である。遠い、危ない、といった声を聞く。しかし、遠いからこそ、ワールドカップという機会がなければ行くことはないだろう。危ないならば、国をあげて海外からの客を安全にもてなそうとするワールドカップのときにこそ行きたい。それに、南アフリカでは、規模こそちがうものの、1995年にラグビーのワールドカップを開催し、成功させている。きっと大丈夫だ。

南アフリカの赤ワイン   エッセンからミュンヘンへ向かう列車で、南アフリカから来た連中が通路を挟んだ隣の席に座っていた。途中、列車のトラブルで、ミュンヘンへの到着が大幅に遅れ、もしかしたら準決勝に間に合わないのではないかと思われた状況になっても、彼らはまったく動じなかった。それどころか、手荷物の中から、いかにも高級そうな赤ワイン、コルク抜き、そして脚の長いワイングラスを取り出すではないか。ワイングラスが出てきたときには、ぼくをはじめ、まわりの乗客はあっけにとられてしまった。そんな雰囲気をよそに、彼らは赤ワインを優雅に、おいしそうに飲み始めた。

  こんな連中とワールドカップを楽しめるのだ。南アフリカにも、なんとしても行きたいと思う。

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