2006年の夏、ぼくは5度目となるワールドカップ観戦のために、ドイツを訪れた。ここで、自分の目で見たワールドカップ・ドイツ2006を振り返っておきたい。
■10日間のドイツ旅行
2006年6月29日(木)の夜に日本を出発し、7月8日(土)の朝に帰国。ドイツワールドカップの準々決勝2試合と準決勝2試合を見た。この旅程は、1998年フランス大会を観戦したときと同じだった。
観戦旅行の日程がこうなったのは、決勝トーナメントの強豪同士の真剣勝負を味わいたい、効率よく多くのスタジアムを訪れたい、短い期間ではあるがホテルの移動を少なくしたい、地元のチームの試合を見たい、試合のない日を設けて観光をしたい、それに、7月になると会社の夏季休暇が使えて、連続休暇がとりやすくなるという理由からだ。
ドイツを訪れるのは初めてだったが、特に不自由なことはなく、とても快適な旅行ができた。
【観戦した試合】
2006/6/30 準々決勝:ドイツ対アルゼンチン (ベルリン)
2006/7/1 準々決勝:イングランド対ポルトガル (ゲルゼンキルヘン)
2006/7/3 準決勝:ドイツ対イタリア (ドルトムント)
2006/7/4 準決勝:フランス対ポルトガル (ミュンヘン)
■観戦チケットはインターネットと仲間から
観戦チケットは、インターネットの公式サイトで、メキシコのTST6(カテゴリー3)を購入し、そのほかにビバ!サッカー研究会の仲間と交換するなどして、試合当日までに無事に用意できた。もし、事前に用意できなくても、当日会場のまわりでダフ屋から買えばいいと思っていた。ちなみに、フランス大会では、すべて現地でダフ屋から調達した。
ドイツでも、ダフ屋は大勢出没していた。駅やスタジアムの周辺で、“I need tickets” と掲げている人たちのほとんどがダフ屋だと見た。ダフ屋のチケットの値段は思ったほど高くはなく、地元のサッカー・ファンなら、のどから手が出るほど欲しいはずのドイツ対アルゼンチン戦のチケット(定価180ユーロ)が、試合開始2時間前で、800ユーロ、500ユーロ、400ユーロと、ダフ屋によってまちまちの値段で売られていた。キックオフが近づくにつれてもっと安くなったにちがいない。
ダフ屋によって値段が大きく違っていたのは驚きだった。組織的なダフ屋があまり介在していなかったのだろう。ワールドカップやユーロなどで、過去に何度か見かけたロンドンを拠点にしているやつらの顔を見ることもなかった。
また、ダフ屋のチケットの値段が高騰しなかったのは、「ファン・フェスタ」の影響もあったのではないか。
■4試合のうち3試合が延長戦へ
トーナメントのヤマ場らしく、観戦した試合はいずれも接近した内容となった。4試合観戦のうち、3試合が延長戦(うち2試合がPK戦)だった。選手も疲れただろうが、見るほうもとても疲れた試合だった。
準々決勝、ドイツ対アルゼンチン戦。1点をリードしたアルゼンチン、ペケルマン監督の不可解な選手交代。中心選手のリケルメを交代退場させた意図は何だったのか。その後に、同点に追いついたドイツがみせてくれた「ゲルマン魂」。PK戦では負けを知らないドイツが熱戦を制した。試合後、スタジアムで勝利の宴をたっぷりと味わうことができた。ホスト国の勝利は、ワールドカップでもっとも幸福な時間だ。
準々決勝、イングランド対ポルトガル戦。目の前で退場を宣告されたイングランドのルーニー。彼が、腹いせに蹴ったペットボトルは、ポルトガルのベンチの上をかすめて飛んでいった。ルーニーの僚友、クリスチアーノ・ロナウドが最後のPKを決めて、ポルトガルの勝利。満身創痍のイングランドは、もう限界だった。これで、この試合、出場停止だったポルトガルのデコのプレーを準決勝で見ることができるようになった。
■勝負を決めたベテランの味
準決勝、ドイツ対イタリア。ぼくの席はゴール裏の最前列だった。ドルトムントのスタジアムの魅力は高くそびえたつ観客席である。なんとも皮肉な席だった。ぼくは、自分の席を離れ、席を確保できなかった各国の放送スタッフやさぼっている売店のスタッフなどと一緒に、1階最上段で、立ち見で観戦をした。
延長戦の重い空気のなかでの、イタリアの先制点の瞬間。その直後のベテラン、デル・ピエロの追加点。
敗戦後、まわりのドイツ人たちが、泣きながらも、誇らしげに拍手をおくっている姿が印象に残っている。スタジアムから言葉少なに帰路につくドイツ人たち。1990年イタリア大会の準決勝でイタリアがアルゼンチンに敗れたナポリの夜がよみがえった。
準決勝、フランス対ポルトガル。ぼくのお目当てのデコは、フランスの集中的なマークにあい、思うようなプレーができない。デコはポルトガルのコンダクターだ。しかし、彼の指揮棒は、フランスの巧みなディフェンスに奪われてしまった。ポルトガルの武器は、クリスチアーノ・ロナウドの果敢に攻め込むドリブルだけだった。フランスは、アンリがPKを奪い、ジダンが決める。準々決勝でブラジルを破ったベテラン・コンビがポルトガルを退けて、いよいよ2002年の雪辱に近づいた試合だった。
大会の終盤。疲労が蓄積している各チーム、各選手は、まず守備組織を維持することに主眼をおいていた。そのうえで、得点を取りにいく。しかし、どのチームにも、攻撃のための十分なエネルギーが残っているようには見えなかった。特に準決勝の2試合では。だからこそ、ベテラン監督の采配やベテラン選手のプレーが輝き、勝負を決めた。そんなふうに感じた4試合だった。
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