― 日本側から見たクラマー来日のいきさつ ―
後藤
岡野さんはクラマーさん来日のいきさつについては知っていますか?
岡野 当時日本サッカー協会の技術委員にいたのですが、協会の上の方達では外国人をコーチとして招くのがいいのかどうか等、議論されていたそうです。ローマ五輪予選に負けて、東京オリンピックは開催国なので予選免除だからこそ各国と同じレベルにするにはある程度のレベルがないと駄目! という話が出ていました。当時日本はアマチュアリズム全盛だった中、西ドイツのプロコーチであるクラマーにコーチを頼むのは良いのか? とか日本人にもふさわしい人がいるのではないか? など意見が出たそうです。協会の主流は関東協会と関西協会で、協会内で関東と関西で考え方の違いがありました、と言うのも関東は関東ローム層なので霜が降りると泥だらけになるのでロングボール多様の戦術、関西は砂地なので霜が降りないのでショートパス多様の戦術、その戦術の違いが考え方の違いになって、その中で相当激しい議論が行われたそうです。
後藤 関東対関西という図式があったという話は聞いたことがあります。岡野さんは先程中条さんがおっしゃっていたようなクラマーさん自身がドイツ代表の監督になりたかったのではないかということについては直接お話をお聞きになったことはありますか?
岡野
率直に言って一度も聞いたことはありません。彼は一切そのような話をしませんでした。
― 理論的な指導方法 ―
後藤 当時のサッカーの先進国の1つである西ドイツのコーチが無報酬で来日してくれるというまさに奇跡のような出来事だと思いますが。当時現役選手だった杉山さんにはトレーニング方法などについてお聞きしますが、やはりこれまでの日本人の指導者達と違いましたか?
杉山
クラマーさんにはボールを止める、蹴るといった基本動作を足首の角度の付け方から丁寧に指導してもらいました。クラマーさんの模範プレーはそれは見事で、基本動作を当時の代表が10回中4、5回決めるとすると、クラマーさんは10回中10回決めることが出来たので、彼の靴には接着剤が着いているのではないかと思ったくらいです。ボールリフティングというものをクラマーさんがやって初めて目の当たりにしたのですが、「何、この人曲芸師か?」と思いましたね。
練習は毎回、クラマーさんが説明してくれたことを聞いてやって見せるのですが、クラマーさんはワンプレー毎にチェックして指導してくれました。それまでの指導者達はただ「しっかり蹴れー」とだけ言うだけで、たまたま上手く行くと「それでいいんだ」といった指導方法でしたが、クラマーさんは何がどう悪いか、どうやったら直るか等具体的に説明して下さいました。
― 日本の武器の誕生秘話 ―
中条
メキシコオリンピックではクラマーさんはFIFAのコーチで会場にいたのですが、杉山から釜本のパスを見てにやりと笑っていました。というのも杉山からのパスを釜本が決めるという杉山 ― 釜本のラインは日本が勝つための武器になると感じていたので、何度も何度も練習をさせていましたが、それが本番で決まったのでにやりと笑ったのでしょう。「数百回のうちの1回決まるのがサッカーの練習だ」と言っていましたが、皆がお風呂に入っている時間でも杉山を練習させていて、よくしごいて鍛えていましたね。杉山さんは「足の速い国際的なプレイヤーだ!」と言っていました。しごかれた杉山さんは大変辛かったと思いますが、杉山さんはある時クラマーさんを恨んだと聞いておりますが(笑)、ほんとうですか?
杉山
あのー、恨んだといいますか、「なんで俺だけしごかれるんだ、鍛えられるんだ」と、岡野さんにぼやいた事もありました。岡野さんには「それだけ期待されているんだよ」と言われましたが。
岡野 先程彼は謙虚に言いましたが、杉山君はボールリフティング等を一番最初にものにしていましたよ。なので、非常に期待されしごかれたわけですね。
後藤 一番肝心な時にこの練習が活きたわけですね。
― 「コーチ術」から「コーチ学」へ ―
後藤 アシスタントコーチとして間近で見てこられたのは岡野さんだと思いますが、岡野さんはクラマーさんの教え方についてどう思われましたか?
岡野 先程も言いましたが、クラマーさんは「コーチ学」を日本にもたらした方だと思います。それまでにも日本には「コーチ術」はありましたが、すべての人が共通に理解できる「コーチ学」はありませんでした。それを持って来てくれたのはクラマーさんでした。僕らもボールの止め方は一応教わりましたが、何故そうするかということは、残念ながら教わったことはありませんでしたが、クラマーさんはそれをテニスのラケットを例えに出して、足首を固定して蹴ることを理論的に説明して、それをやって見せてくれました。大体味方のところに行けばいいといった感じだったパスについてもセンチメートル単位で要求していましたし、常にクラマーさんが模範をやって見せるので、退屈になりがちな基礎練習も自分達が正確に出来ないことを実感していましたので、選手たちも一生懸命練習に励んでいました。常にボールに触れさせて試合の時に役立つような集中力を養う練習をさせていました。
― 細部にまで気を配るコーチの仕事 ―
岡野 この時、初めてテーピングも導入しました。それまでは「ケガが怖くてサッカーが出来るか」なんて風潮でした。もちろんテーピング自体がありませんでしたから、代わりに大きな絆創膏を買って来て選手に施しました。また、合宿でお風呂に入ったにもかかわらず裸足にサンダルで外に出ると体が冷えるからと怒ったり、散歩に出るにもケガ防止にサンダルではなく靴を履くよう言ったり、合宿所では夜、選手がはがした布団をかけていました。鈴木隆三君が足を怪我した時に怪我以外のところを怠けさせないように鍛えさせ、トレーニング後は自ら薬を塗って包帯を巻き怪我の手当てをしていました。
このように、選手に対して非常に細やかに気を使いながらグラウンドでは厳しく接し、医学、栄養学、フィジカルケア等まさに「コーチ学」ですが、それやって見せてくれたのが彼の素晴らしい所ではないかと思います。そばにいてコーチはこのような事まで気を使わなくてはいけないのだという事を知ることが出来ました。
― 日本への愛情 ―
岡野 現在の代表の置かれている環境は先程も話が出ましたが、かつてのデュイスブルクですね、1960年に初めて行った時に八重樫(茂生)君が、「岡野さーん、こんな環境なら絶対上手くなりますよー」と言っていました。そのトップクラスの環境から泥だらけの東大御殿下のグラウンドにやってきたわけです。今の代表がそんな環境でやれと言われたらやれるかどうかわかりませんよね。初来日の時には御茶ノ水の「山の上ホテル」を予約していたのだけれども、「選手と同じ生活をしなくて何を指導するんだ」と言って、和食に畳の修学旅行生用の旅館での合宿所では大変だったを思いますが、寝食を共にして指導してくれました。クラマーさんは父親が庭師で前にご自宅へ伺った時に、日本庭園の本が家においてあったのですが、そういった環境から早くから日本に愛情を持って下さったのではないかと思います。
先程中条さんがクラマーさんの印象的な言葉について話されましたが、私が、クラマーさんの言葉で一番好きなのは「自分に打ち勝つ勝利ほど最高の勝利」と言う言葉です。 |