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サッカーマガジン 1974年3月号

藤枝東の同点ゴールは幻だったか!
― 審判の権威確立と審判技術の向上を訴える ― (2/2)   

3 審判の起用もおかしい
 このように、こまかく振り返って分析してみれば、「審判は目がくらんだんじゃないか」「藤枝の選手がかわいそうだ」というような非難は、簡単に口にできないことがわかる。テレビを見ても「オフサイドはない」とは断言できないのだから――。
 一方、審判員の方が「おれたちは正しかった」とふんぞり返るわけにいかないことも確かである。このケースは、非常に微妙な審判技術上の問題を含んでおり、審判の態度に誤りがなかったとは、いえない。
 念のために原則論をいえば、テレビの録画をあとから見て、審判の判定が正しかったかどうかを論じるのは、本来は適当でない。
 テレビの画面は、フィールド全体をカバーしているわけではないし、テレビカメラは、審判員のように、常にもっとも見やすい位置を求めて移動するわけではない。
 また、審判員はスロービデオで判定するのではないからテレビのスローモーションに反則らしい場面が写っていたとしても、審判員が反則をとらなかったのを、間違っているとはいえない。
 しかし、審判技術向上のために、この藤枝東のようなケースを試合のあとで十分し検討しておくことは、怠ってはならないし、ファンや報道機関の批判にも耳を傾けるべきだろう。
 高校サッカー決勝の北陽高−藤枝東高の試合については、日本蹴球協会の審判委員会にも適切でないと思われる点があった。
 一つは、主審の安田氏が前々日の1月6日に神戸で行なわれた日本リーグの1、2部入替戦、田辺製薬−永大産業の笛を吹いていることである。
 この試合は、両チームの反則が合わせても68あるというひどい試合だった。この試合の笛を吹いて神経をすり減らした翌日に準決勝、続けて翌々日には決勝と重要な試合を担当させたことは、ほかに審判員がいないのであればともかく、適切な審判起用とはいえまい。
 また、線審の西氏が大阪の審判員だったことも納得しかねる点である。北陽高は地元大阪のチームだったのだから、常識的には、線審にも大阪の審判員を避けるのが当然である。予定されていた審判員の病気のため、予備審判員が起用されたらしいが、全国的な選手権大会であるから予備審判にも、他県の出身者を用意できたはずである。地元の審判員であるから判定を誤るとは思わないが、現実にトラブルが起きた場合に誤解を受けないためにも、細心の配慮が欲しかった。
 このような審判員の割当てや審判上の事故、トラブルなどに責任を持つはずの審判委員会が、現役の審判員で構成されているのも、おかしなことである。仲間同士で、仕事の割当てを決め、能力を評価し合い、事故のときの責任を追求するのは公正でない。日本蹴球協会の審判委員会は、現役を退いた審判員のOBを中心に、サッカーに十分知識を持ち、社会的常識の豊かな人材で構成するのが本当ではないか。
 また高校選手権大会のような大会のときには、現地に集まって試合を見ることのできる役員によって、その大会の審判委員会を作り、一つ一つの試合を監察するインスペクターを指名するべきである。
 そのような審判上の組織が明確でなければ審判の起用の仕方も混乱するし、トラブルが起きたとき敏速で適切な処置をとることができないはずである。

4 歴史に残る藤枝のフェアプレー
 北陽高−藤枝東高の試合で、藤枝東高のエース中村は、北陽のバックにしつようにマークされていた。
 前半、藤枝東が1点リードしたあと、中村が完全にボールをコントロールして抜け出ようとしたときに、バックが遅れたタイミングでタックルして転倒させた。最初のファウルだったが、安田主審はすぐ「注意」を与えた。
 しかし、そのあと同じバックが、また中村に乱暴なタックルをして転倒させた。安田主審は、ちゅうちょなく「警告」を与えた。
 中村に対して繰り返された反則は、特定の選手を故意にねらい打ちしているような印象を多くの人に与えたに違いない。このようなプレーは、はじめからきびしく取り締まって、あとに響かないようにしなければならない。
 この場合の主審の処置は適切であり、このあとは中村に対する悪質なファウルは起きなかった。選手たちが、フェアプレーに徹して規律あるプレーをするのが第一であるが、審判員が自信を持って、勇気ある態度をとれば、選手たちの規律を高めることができる。
  一方、選手たちは、審判の権威を尊重し、審判の判定に従うというサッカーの約束を守らなければならない。
 人間である以上ミスもある。しかしミスのある人間が審判をし、その判定に従うことによってサッカーは成り立っている。
 藤枝東高の選手たちが、貴重な同点ゴールと思われたシュートを、オフサイドの判定で幻にしてしまったとき、人間らしい落胆を示しながらも、黙ってその判定に服して健気にプレーを続け、最後まで、がんばり抜いたのは立派だった。
 選手にも、審判にも、時としてミスはある。それがサッカーである。しかし、それによってゲームの価値が決定的に傷つけられることはない。
 幻のゴールによって失ったものよりも、はるかに貴重なものを藤枝東高の選手たちは、フェアプレーによって得た。あの健気な態度によって、君たちは男であることを示し、金メダルにまさる思い出を、高校サッカーの歴史と君たちの青春に残した。

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