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ワールドカップを日本へ 〜 実現まで35年がかり
ワールドカップは、2002年に日本と韓国で開催されましたが、そこへ行き着くには長い道のりがありました。サッカーマガジンに「ワールドカップを日本でやろう」という記事を最初に書いたのは1967年8月号です。それから35年たって、やっと実現したわけです。
1970年のメキシコ・ワールドカップのときに、当時のFIFA (国際サッカー連盟) 会長のサー・スタンリー・ルースが、日本サッカー協会の野津謙会長に対して、日本がワールドカップ開催に立候補するよう勧めました。野津会長は大乗り気でしたが、そのころの日本サッカー協会の若手幹部は消極的でした。当時の日本のサッカーの普及度と代表チームのレベルの低さを考えれば無理のないことでした。
それでも、ぼくは1970年代から80年代にかけて「ワールドカップを日本で」という主張を繰り返して書きました。その狙いは、大きな目標を掲げて日本サッカー構造改革の起爆剤にしたいと思ったからです。
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