【座談会】
ワールドカップと日本の進路
16年後、ワールドカップ日本開催は可能か!? (1/4)
(サッカーマガジン1970年9月号)
【出席者】
竹腰 重丸 (日本蹴球協会理事長)
長沼 健 (同技術指導委員長)
牛木 素吉郎 (読売新聞運動部)
メキシコ・ワールドカップは、ミュンヘン五輪への教訓を日本に与えているが、
更にワールドカップ日本開催という黒船が、日本の戸をたたいている……
メキシコの教訓
―― 本日は、日本サッカー協会でも大事な地位にあるお二人にご出席いただき、先ごろのワールドカップを現地でご覧になった立場から、日本のサッカーの方向は
どうなのか。さしあたり、ミュンヘン五輪への対策はどうか。更には野津会長から話が出ているワールドカップの1986年日本開催の話をどう考えればいいのか、牛木記者と話し合ってもらいたいと思います。
■日本とは大きな差
牛木 最初に、今度のワールドカップを見て……
竹腰さんも、長沼さんも、前回のワールドカップも見ていますが、世界のサッカーは、どう変わっていますか。
竹腰 前回のときには、南米のサッカーはこう、イングランドやドイツなど、ヨーロッパのサッカーはこうと、だいぶ特徴があるように思ったんです。こんどはヨーロッパも技術的にうまくなり、南米はイングランドや西独のパワーとスピードといったものをとり入れていましたね。メキシコ現地の感情は、南米対ヨーロッパの対決というムードが強く盛りあがっていましたが、技術的にみると、お互いにいいところをとり入れることが進んでいました。南米はパワーと速さ、更に戦術的にもヨーロッパのやり方をとり入れ技巧的なサッカーという感じを乗り越えて、進歩した感じでした。
長沼 その通りですね。ロンドン大会のときには、守備が非常に強いチームが優勝したんですね。2位の西ドイツにしてもそういうものの良さが目についた。そうして、攻撃が華麗なチーム、ポルトガルなんかは、攻撃はみごとだが、守備力相伴わずで敗退したという感じでした。ところが、今回はチャンピオンがブラジルだったこともあるけれど、そういった攻めを犠牲にして守るとか、守りを犠牲にして攻めるという感じがずいぶん薄れたんじゃないかという気がしましたね。それから、FIFAとレフェリー、そして各国の選手たち、そういったものの非常にいい協力があって、必要以上に試合がラフにならなかった。前回にくらべてですね。それが、各国の主戦となる選手たちが最後まで戦えたということにもつながって、サッカーファンにとって最大の贈り物だったと思うんです。いい選手が片っ端から削られていったんじゃ、興味が半減しますしね。まあそういった、サッカーの変化、スピードというものを明らかに感じさせられた。これはチームにもいえるし、選手個人にもいえる。何かを犠牲にしなきゃやれない。攻めを放棄して守りにつこうという感覚の選手というのは、取り残されてしまった大会だなと感じましたね。
牛木 それでは、日本のサッカーと関連させて、メキシコのワールドカップの教訓というか、そういう点はどうですか。
竹腰 日本のサッカーと関連してというとあんまり日本のサッカーが低いので……はっきりいえばね。
牛木 ええ。
竹腰 大会をみていて、各国のフォーメーションなども、やっぱり自然の進歩の流れを進んでいるから、あんまり意外というほどのことはなかったが、ますます洗練されて、技術がすすんでいる。たとえば、ミュラーという得点王となった選手。クラーマーさんに聞いたら、あの選手はゴール前へいった阿修羅のように得点する男だけれど、中盤では何にも出来ない。トラップなんかも、胸でとめてもポーンと遠くへ出してしまうというんですよ。ところが実際の試合をみると、やっぱり日本の選手よりまるでうまいじゃないかということになる。何にも出来ないといわれる中盤でも、日本の選手よりはるかにうまい。そういった面、ちょっと比較の対象にならないという感じですね。ただ、進歩の方向がどういう道をたどっているかという点、われわれが想像していろいろやってきたそれに間違いはないといえるだろうと思うんです。
■ミュンヘン五輪につながるレベル
牛木 たしかに日本サッカーのレベルとは非常に離れているというのは間違いないですね。クラーマーさんも、ため息をついて、それはものすごい差であるということをいわれた。それじゃ射程距離から離れて、何十年かかっても追いつけないような距離にあるかというと、
同じ人間がやっていつことでもあるし、そうはいえないんじゃないかとぼくは思うわけです。それから、非常な日進月歩の世の中で、ロンドン大会から現在までの4年間と、これからドイツの大会までの4年間とどっちが短いかというと、これからのほうが短いだろう。そうすると、ロンドン大会のレベルはメキシコ・オリンピックのレベルではなかったけれど、ひょっとすると、こんどのメキシコ・ワールドカップは、2年後のミュンヘン・オリンピックのレベルであるかもしれない気がするんですね。それくらいの進歩の早さが、世界においては、特に共産圏ではあるんじゃないか。そういうことを考えると、差を嘆いているばかりではだめで、やっぱり今度のワールドカップからミュンヘンへの教訓を汲みとらなきゃだめだと思うんですがね。
長沼 おっしゃる通りで、絶望的な差があるとはおもいませんね。これが、異質のサッカーをやられたのではもうだめだ。簡単にいえば、われわれよりもはるかに速く、はるかに正確に彼らはやる。しかしやっていること、またやろうとしていることは同じなんだ。竹腰さんがおっしゃったように、進路としては間違っていない。ただそれを追いかけるテンポは速めなければいけない。いま牛木さんがいわれたようにメキシコのワールドカップの教訓が、おそらくそのままミュンヘン・オリンピックにつながると思います。アマチュアレベルといえども、あそこでやったこと、あるいはみんながやろうとしたことが、そのままミュンヘンで再現されると思う。日本もそのことを完全に認識して、ミュンヘンに備えるということが、目下の急務でしょうね。 |