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ビッグスポーツへの道 (2)
(サッカーマガジン1968年2月号) 

構成解説/牛木素吉郎  イラスト/水島忠紀
※実際の誌面ではイラストの中にある文章を、ここでは各イラストの下に抜き出してあります。

 外国のお客さんが来たときに「日本のサッカーも、世界に負けないようになりました」と胸を張っていえるようになるには、どうしても立派なサッカー・スタジアムが欲しい。大都市の代表的な競技場は、いわば迎賓館のようなもので、いつお客さんが来ても恥ずかしくないようにしておかなくてはならない。ことにサッカーは、国際試合の機会が飛び抜けて多いのだから、なおさらである。
 いまのところ、専用サッカー場のないのは、日本の泣きどころ。みんながサッカーをするための広場もたくさん欲しいけれど、首都の東京には、国際試合のできる国立サッカー場をひとつは至急に作りたい。現在は国立競技場も駒沢も、陸上競技場の間借りで肩身がせまい。
 さしあたっては、4〜5万人くらいのスタンドがあれば ―― と思うけど、ここでは夢の大スタジアムを描いてみた。いまから18年後、1986年(昭和61年)のワールドカップを開くときに、ぜひ使いたい。

夢のサッカー・スタジアム

 世界最大のブラジル・マラカナ・サッカー場は観客収容20万人だが、立ち見席が多い。これからのサッカー場は、設備がますます豪華になるから、最大限15万人。おじいちゃんも、おばあちゃんも、坊やも、ゆっくり楽しめるレジャーの殿堂だ。お客さんは、全国から特設軌道を走るジェット・カーで、一瞬のうちに運ばれてくるから、場所は都会のまん中でなくたっていい。



 日本のサッカー界を外国にくらべてみて、さびしいことのひとつは、立派な競技場のないことのほかに、組織がまだしっかりしていないことである。
 川っぶちの広場でゴムボールをけっている少年たちも、マンモス・スタジアムで大歓声を浴びる杉山、釜本も「同じサッカー」をしていること、サッカー協会が、少年たちから代表チームまで、同じように注意深く見守り、育てていくこと、プロもアマも同じ組織の中で統制して、プロがアマを邪魔するのではなく助けるようにすること―こういう姿がサッカーの組織の良い点なのだ。
 外国では協会が立派なビルを持ち、専任のプロ・コーチをかかえ、有能な職員を働かせている。同じくらいの強さのチーム同士で、良い試合を多くするためのリーグ組織が全国にひろがり、同時に、下位のリーグのチームが上位に挑戦するカップ組織(勝ち抜き戦)の試合がある。日本でサッカーがビッグ・スポーツになるには、同じような組織作りをしなければならない。
 サッカー学校 ―― これも日本にはない。日本代表チームが、はじめてクラーマーさんに会ったのは西ドイツのデュイスブルグ・スポーツ学校だった。

サッカー学校

 学校といったって、むづかしい試験ばかりやってるところじゃない。ボールがあって、芝生の広場がたくさんあって、練習の仕方でもなんでも、分からないことは親切に教えてくれるかっこいい先生がいる。
 小学校や中学校の授業が終ってから出かけることもできる。夏休みや冬休みには、遠くの少年チームも一週間くらい泊り込みでくる。
 コーチになるための特別のコースもある。これは授業もたくさんあって、むづかしいぞ。


「サッカーマガジン」1968年2月号

特集は「三国対抗サッカー」。三国はチェコ、ソ連、日本。見出しは「健等日本、ソ連と引分け」「日本、桑原楽の先制点むなし」「日本、チェコの底力に屈す」など。チェコの英雄マソプストらデュクラ・プラハの選手たちを迎えての座談会も組まれている。

 

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