日ソ親善サッカー観戦記 (2/3)
(サッカーマガジン1967年4月号)
第1戦 |
2月19日(日)東京国立競技場 |
日本 0 (0-0、0-2) 2 ソ連 |
反 |
S |
得 |
(日本) |
|
(ソ連) |
得 |
S |
反 |
0 |
0 |
0 |
横山 (三菱) |
GK |
ウルシャーゼ |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
片山 (三菱) |
FB |
シュタポフ |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
宮本征 (古河) |
|
クルリコフスキー |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
鈴木 (日立) |
HB |
アニチキン |
0 |
0 |
1 |
1 |
1 |
0 |
鎌田 (古河) |
|
サボスチコフ |
0 |
0 |
1 |
1 |
1 |
0 |
富沢 (八幡) |
|
ムンチアン |
1 |
2 |
0 |
1 |
3 |
0 |
桑原勝 (名相銀) |
FW |
シュリヤチスキー |
0 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
宮本輝 (八幡) |
|
アブドライモフ |
1 |
5 |
0 |
1 |
5 |
0 |
釜本 (早大) |
|
フェドトフ |
0 |
0 |
1 |
6 |
0 |
0 |
小城 (東洋) |
|
コパエフ |
0 |
0 |
2 |
1 |
1 |
0 |
杉山 (三菱) |
|
バルガ |
0 |
0 |
1 |
15 |
15 |
0 |
10 |
GK |
11 |
2 |
9 |
7 |
|
|
|
8 |
CK |
4 |
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|
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>交代 (日) LH森 (早大) OR木村
(古河) S1
(ソ) OL エシコフ |
快晴に恵まれて、2月の寒さの中を2万5千の観衆がスタンドを埋めた。学生の試験期だから、入りが悪いのではないかと予想していたのだが、意外な大入りであった。ことしもサッカーの人気は高まる一方らしい。ただ雪どけで、芝生がゆるんでいたのは、残念だった。
ソ連は前日の記者会見で、カチャーリン監督が発表したとおりの布陣。日本は4−3−3で、FBラインの編成に苦心のあとがあった。ハーフに富沢、右のウィングに小柄な桑原勝を起用したのも、思い切ったところ。山口、森の学生組が試験期で練習不十分なことと、松本が東洋工業の香港遠征のとき左手首を骨折して使えないためだ。
(ソ連) GKウルシャーゼ FBシュタポフ、クルリコフスキー、アニチキン、サボスチコフ HBムンチアン、シュリヤチスキー FWアブドライモフ、フェドトフ、コパエフ、バルガ(エシコフ)
(日本) GK横山 FB片山、鈴木、鎌田、宮本征 HB宮本輝、小城、富沢(森)、FW桑原勝(木村)、釜本、杉山
前半は日本が圧倒的に押していた。シュート数は日本が10、ソ連が4。この試合はテレビで全国中継されたから、読者のほとんどはご覧になったと思う。したがって試合経過のこまかいことは省略しよう。
日本はなぜ優勢だったか。ソ連が前半日本のようすを見ていたこともある。とくに立ち上がりの10分間は、あきらかにペースを落として日本を偵察していた。その間に、日本は杉山が走って調子に乗った。パスを出してダッシュする杉山の早さは、ソ連に対しても充分に威力があった。
ソ連のコンディションが良くなかったのも事実だろう。カチャーリン監督は「60点のでき」だといっていた。外国旅行をすると、時差の関係で生活のリズムが狂ってくる。「昼はねむくて、夜になるとさえてくるんだ」ともいっていた。
しかし、それにしても、ソ連より多くボールをキープし、ゴール前まで攻めこんできわどいチャンスを作ったのだから、日本のサッカーも進歩したものである。
ただ優勢ではあったが最後の点をとる段になると、まだ力が足りなかった。
ソ連のゴールキーパーは、1メートル86の大男でしかも守備範囲が広い。ペナルティ・エリア内にあがったボールは100%とられ、釜本や宮本輝のシュートも、ほとんど正面でキャッチされた。
ソ連の4FBは、アニチキンの老練なカバーもあって決定的な破れは、めったに見せなかったから、日本にも、相手を完全に攻め崩してのシュートはない。それだけに、大男のゴールキーパーは鉄の壁だった。
これは ―― と思ったのは、前半41分、桑原がゴール正面で、みごとなオーバーヘッド・キック(さか立ちキック)のシュートをしたとき。ボールは左にそれてしまったけれど、ああいう意表をついたことでもなければ、日本の得点はむつかしいだろう。
ソ連は後半になって力を出した。20分フェドトフからのパスを、ゴール正面でアブドライモフが小さくうしろへ渡し、ムンチアンがバーの下を叩いて入れる強烈な中距離シュート、34分には右から左にまわっていたアブドライモフが、宮本征のタックルをはずして個人技で持ちこみ2点目。勝負はこれできまった。
得点にはならなかったけれどソ連ですごいと思った攻めは、ほかにもあった。
前半42分、右のバックのシュタポフが、風のように突進してきて右からきわどいシュート打ったそのすばやさと、走った距離の長さにびっくりした。バックスの攻撃参加は日本リーグでも八幡のバックスや古河の宮本征、三菱の片山がお得意だが、シュタポフのようなあざやかなのは見たことがない。「風の忍者」という感じだった。
もうひとつは、1点をとったあとの後半31分。右からコパエフが持ちこんで正面へ入れたとき、フェドトフ ―
ムンチアン ― アブドライモフが、縦に走りこみながらポジション・チェンジをして、日本の守備を崩し、ダイレクトにすばやいパスをつないだ。シュートは横山がかろうじてはじきだしたけれど、あんな攻めをはじめから出されたら、もう3、4点はとられそうな感じだった。
こういう鋭い攻めができるのは、結局はひとりひとりの技術が、すばやいからである。キックも、ふりは小さいが、勢いは強烈だった。
後半鎌田が、相手のキックをまともに顔面にくらって、ふらふらっとした。あとで安田主審が「秒速40メートルのキックだな」と笑っていた。
東大の戸苅先生の測定によれば、日本選手のキック力最高記録は、宮本征勝選手。ボールの初速は秒速32メートルなのである。
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