日ソ親善サッカー観戦記 (3/3)
(サッカーマガジン1967年4月号)
第2戦 |
2月22日(水)京都西京極 |
日本 1 (1-1、0-2) 3 ソ連 |
反 |
S |
得 |
(日本) |
|
(ソ連) |
得 |
S |
反 |
0 |
0 |
0 |
保坂 (古河) |
GK |
プシェニチニコフ |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
片山 (三菱) |
FB |
シェルゲラシフリ |
0 |
1 |
4 |
1 |
0 |
0 |
宮本征 (古河) |
|
クルリコフスキー |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
長岡 (早大) |
HB |
アニチキン |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
上 (八幡) |
|
サボスチコフ |
0 |
0 |
2 |
1 |
1 |
0 |
小城 (東洋) |
|
ムンチアン |
0 |
7 |
1 |
1 |
3 |
1 |
宮本輝 (八幡) |
FW |
ガドチェフ |
0 |
2 |
1 |
0 |
2 |
0 |
八重樫 (古河) |
|
ピリピチュク |
0 |
1 |
0 |
1 |
1 |
0 |
渡辺 (八幡) |
|
フェドトフ |
0 |
1 |
1 |
0 |
2 |
0 |
釜本 (早大) |
|
コパエフ |
1 |
6 |
3 |
0 |
2 |
0 |
杉山 (三菱) |
|
エシコフ |
1 |
7 |
1 |
7 |
14 |
1 |
12 |
GK |
9 |
3 |
32 |
14 |
|
|
|
1 |
CK |
4 |
|
|
|
>交代 (ソ) IRアブドライモフ 得1、S5 CF
バルガ S1
(日) IR 桑田 (東洋) S1、反1 CF桑原楽 (東洋) CF 木村 (古河) S2 |
「第2戦は4−2−4でやりますよ。一回はがっぷり四つに組んでみたい」
第1戦が終わったすぐあとに、長沼監督はこういっていた。
4−2−4でやる構想は、八重樫を久しぶりに使ってみようという考えにつながっている。
フルバックに長岡を使うことも予想できた。日本のフルバック陣は、片山を除けば、だれをとっても「おびに短かし、たすきに長し」というところがある。
ここで新しいタレントを発掘すべきときであり、それには釜本と同じ地元京都・山城高出身の長岡をテストする絶好の機会であると思われた。フタをあけてみると
(ソ連) GKプシェニチニコフ FBシェルゲラシフリ、クルリコフスキー、アニチキン、サボスチコフ HBムンチアン、ガドチェフ FWピリプチュク(アブドライモフ)、フェドトフ(バルガ)、コパエフ、エシコフ
(日本) GK保坂 FB片山、上、長岡、宮本征 HB八重樫(桑田)、小城 FW宮本輝、渡辺(桑原楽)(木村)、釜本、杉山
日本側ではゴールキーパーに、老巧保坂を起用したのが、意外といえば意外である。
ここは地元関西出身の浜崎を使うことも予想されていた。FWは渡辺を宮本輝の内側に並べている。これは「内側から外へ走り出るときの渡辺の強さを生かしたい」(長沼監督)というアイデアである。
ソ連は、第1戦で日本をてこずらせたゴールキーパーの大男ウルシャーゼと足の早いFBシュタポフを引っこめ、第1戦の殊勲FWアブドライモフも、前半は温存した。つれてきた選手を、全部一度は使いたいという配慮もあったのだろう。中盤も第1戦のシャリヤチスキーが、経験豊富なガドチェフに代っているが、これはメンバーを落としたのではなく、むしろ攻撃的に強化したらしい。
うすぐもり。暖かい好コンディションに恵まれ、午後3時半のキックオフ。観客席はほぼ満員の1万2千人で埋まっている。芝生は平坦で足もともしっかりしており、まずまずである。
立ち上がりは日本が優勢。3分宮本輝が右から抜けて正面へ送り渡辺が初シュート、6分には左サイドで杉山が2人抜きを演じたが、センタリングをゴールキーパーにとられた。
8分にソ連が逆襲に転じ、フェドトフ ― ムンチアンと渡って右から食いこみシュート。保坂がとび出して抜かれたが、長岡がよくまわりこんでけり出した。地元出身だけに、やんやの拍手である。
その後約5分間、ソ連のたて続けの猛攻に、日本の守備陣はきりきり舞いさせられた。
ムンチアンとフェドトフが軸で中盤からガドチェフもあがってきたときに、きわどいチャンスになる。足もとが固いせいか、攻め方は第1戦よりも、個人のボール・コントロールの良さを生かして技巧的である。
ピンチの連続を切りぬけたあと15分に日本が、あざやかな先取点をあげた。
ペナルティ・エリアの左外側、ゴールまで約30メートルの地点でフリーキック。杉山がけって逆サイドの釜本に振り、釜本がヘディングで正面に落としたのを、宮本輝が左足のボレーで決めた。
「杉山からのボールを釜本のヘディングに合わせ、その落下点で宮本輝か小城に決めさせるのは、日本の重要な得点コースですよ。アジア大会でもずいぶんやりました」と、これは長沼監督にあとから聞いた解説。これが絵に書いたようにきまって、思いがけないリードに、スタンドの拍手は、またひときわ大きい。
しかし、ソ連は次のチャンスをすぐものにして8分後に同点にした。正面ペナルティ・エリアすぐ外のフリーキックをコパエフがけってフェドトフがつなぎ、キッカーのコパエフがそのまま縦に走り抜けて、ころがしこんだ。日本の守備陣の虚をつくようなすばやい走りこみだった。前半を1−1で終って、ソ連は後半からアブドライモフを出した。あとでカチャーリン監督は「どうしても勝ちたいからアブドライモフを出した」といっていた。先取点を奪って、強敵をおびやかし、相手のエースを引っぱり出した日本代表の健闘は賞められていい。
一方の日本は、後半から八重樫を引っこめた。前半の日本が、第1戦以上のうまい攻めを見せたのは、八重樫が衰えないパスさばきの巧妙さを発揮したからなのだが「アジア大会で負傷した12月11日以来、はじめての試合だからそう酷使するのは無理だ」とベンチが判断したのだろう。ソ連のプラスと日本のマイナスこれは後半がはじまると、たちまち現われた。
2分ソ連の左サイドでパスが抜けエシコフが勝ち越し点。16分にはガドチェフが左からまわしたのをアブドライモフが中距離からの弾丸ライナーで決めて追加点した。
後半のソ連は、前半の柔軟な技巧的攻め方に、一本鋼鉄の筋金が入った感じで、力とスピードの鋭さをみせた。後半日本のチャンスがなかったわけではない。6分、34分、35分と杉山の足がものをいった場面があり、38分にも宮本輝の絶好のシュート・チャンスがあった。
特に35分杉山が左から持ちこみ、木村がシュートしてゴール間ぎわの混戦になったときは、ソ連のフルバックが折り重なって倒れて必死に防ぎ、あわやPKという場面だった。
日本はアジア大会から帰国後、しばらく間を置いての国際試合であり、合宿練習も満足にしていないうえ、松本をはじめ故障者も多い。そのことを考え合わせると、昨年6月のアルビオン来日当時より、いい試合ぶりをみせている。日本代表チームは、またひとまわり成長しているようだ。
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