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名勝負とぼくの選んだ個人賞選手 (3/4)
(サッカーマガジン1967年1月号) 


東洋は日本リーグ優等生

 三つの勝負を振り返って、気のつくことがいくつかある。
 @下村監督のいうように、たしかに楽なシーズンではなかったこと。だいじな試合では東洋工業も危い橋をわたり、秘術をつくさなければならなかった。東洋の顔ぶれが他の上位チームより絶対に強いとはいえないからだ。メンバーのひとりひとりをくらべるなら。
 A東洋工業の小城に対するマークは、日本代表クラスの選手でなければならないこと。古河の宮本征勝、八幡の上が一応成功したのは、その例である。技術の問題だけではなく、日本代表チームの仲間として、手のうちを知りつくしているのが強みである。
 B守備作戦の価値を見直さなければならないこと。古河が東洋と引分けた試合は、古河の守備に片寄った作戦を、あるいは非難できるかも知れない。しかし、リーグ戦では、失点の少いことは何よりも重要である。かりに東洋を相手に、全チームが引分けたとしたら東洋は五分の勝率しか残せない。したがってほかのチームにも優勝の可能性が大きくなるわけだ。それがリーグ戦のおもしろさの一つである。
 しかし、以上の三つの点にもかかわらず、東洋工業は、堂々の連続優勝を飾った。そこで、この東洋工業の強さの秘密は何か、ということになる。
 技術的には、日本代表チームの長沼監督と岡野コーチが、別々の表現で解説しているのがおもしろい。
長沼監督はいう。
 「東洋の攻撃の秘密は第三の動き≠ェあること。そして、その第三の動きが長いことだ」と。
 中盤で小城がボールを持ったとき、他の選手がパスをもらうために走る。他のチームでは次にパスを受ける者の動きが目につくだけだが、東洋工業では三人目、四人目の者が同時に走っているから、パスがどこへ出るのか分らない。
 また、岡野コーチはいう。
 「小城が活躍するのは、忍者のプレーがあるからだ。小城がパスを出して走る。ふつうは折り返しのパスが再び小城のところへ返ってくる。守るほうはそれを予想するわけだが、東洋では、パスがさらに第三の男に渡る。その間に小城は逆の方向に消え、当面ボール付近を守るものの視界から消えたころになって、再びこつぜんと小城のところへパスが戻るのだ」と。
東洋工業の攻めの一連の動きを、別の角度からとらえているわけだが、さらにおもしろいのは、東洋工業のひとりひとりの選手が、長沼監督や岡野コーチの指摘を待つまでもなく、自分たちのプレーの特徴をよく自覚していることだ。
 たとえば、今西選手は、六月にスコットランドのスターリング・アルビオン≠ニ対戦したあとでサッカー協会へ出した報告の中に、彼らの特徴は「第三の動きの長いこと」であり、この点をただちに見習わなければならない、と書いている。
 また小城選手は、ワールド・カップ見学報告の中で、「パスを受ける前に、いったん相手の視野から消えることが重要」だと書いている。
 学んだことを、すぐ取り入れて実行すること。監督やコーチに教えられた通り動くだけでなく、自分で頭の中にたたきこみ、表現していること――これは書けば当り前のことだが、実際には非常にむづかしい。
 東洋工業の選手たちは、それをやっている。
 下村監督は、優勝の原因を
 「チームの和だ」
 といったが、これは、選手たちが、みんな仲良しだ、ということだけではない。技術や戦術のむづかしいことを、おたがいに、からだと頭の両方でよく理解し合っている――ということなのだ。
 東洋工業はやはり、日本リーグの優等生である。

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