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高橋祐幸のブラジル便り・目次
 

高橋祐幸(たかはし ゆうこう)

ブラジル・サンパウロ在住。1933年岩手県生まれ。1960年にブラジルにわたり、日本商社の現地法人(三菱商事)に35年間勤務。退職後ボランティアでトヨタカップ南米代表実行委員を15年間務め、川崎フロンターレ、大宮アルディージャのブラジル代表顧問を約8年間務めた。県立盛岡中学(旧制)で、八重樫茂生(メキシコ五輪銅メダル日本代表キャプテン)と同級生だったことがサッカーに携わる機縁ともなって、日本にもブラジルにも広いサッカーの人脈を持つに至った。


 

 


遺稿1
不思議な祈祷師が現れて (2014/11/10)

◆全身の痛みに苦しむ
  ワールドカップが終わって2ヵ月。9月になって、身体中のあらゆるところが猛烈な痛さに襲われた。どこが悪いのか見当もつかないまま、食べず、飲まず、眠れずと大袈裟に言いたいほどの苦痛が続いていた。今度こそ「これでお陀仏か」と観念したものだ。
  高齢になってから「もう死ぬだけだ」と言うのが口癖になっていたので、ある日本の友人から「君はフェニックスだから死にゃせんよ」とからかわれたことがあるが、フェニックスだって、これほど痛めつけられたら枯れ果てて仕舞うだろうと思えるほどの酷い苦しみだった。
  「一体こりゃ何の祟りかな」と怖れながら耐えていたが、この2週間に一層の衰弱と(何もしてないのに)疲労感の高まりで、寝るも立つも座るも儘ならず、ついにこれでお陀仏かと観念せざるをえないほどの苦痛に悶えていた。

1)(前からあったが)寝床に横になると両足がまるで死体のように冷たくなって,ときどき飛び上がる程の足指の激痛に襲われる。そのため寝付くことができず、睡眠不足でまいっていた。それがますます酷くなってきて、電気毛布をさがし出して足をくるんだり、痛み止めの薬を飲んだりしたものの一向に効き目がない(起きている間は、血が通うのか冷えも痛さも薄らぐのだが)。

2)2008年に心臓と肺を手術したときに、あばら骨を開いた後を針金で止めてあることは、レントゲン写真にはっきり写っているので知っていたが、その左右のあばら骨と臍の上あたりから鳩尾の上あたりにかけた胸板一帯が、骨なのか筋肉なのか異常な痛みを感じ、それがどんどんエスカレートして、ひと晩中寝返りを繰り返しながら、悶々たる長い夜を苦しみ続けていた(起きている間は、これもすこしは痛みは引けてくるのだが)。

3)ここ2週間前までは、あれほど好きでやめられなかった(寒い日はワイン、暑い日はビールの)晩酌が急に不味くて飲む気にならなくなり、おまけに食欲までが失くなって、せいぜいお茶漬け軽く一杯か、即席ラーメンひと袋の半分くらいしか喉を通らなくなってしまった。ほんの少しでも何か食べたり飲んだりすると腹がパンパンに張って、ゲップが出たいのに出ないときのようにむかつき、大腸から胃のあたりまでが痛くなり、背中から肩にかけて鈍痛に襲われる。

◆かたくなに病院行きを拒否
  この三つの苦痛が2週間も続き、いろいろな買い薬で苦痛をやわらげようと試してみたが一向に効かない。日に日にげっそりとやつれてくるものだから、女房は「病院へ行きましょう」と、しきりにせっつく。
  私は「ぶっ倒れたら、救急車で病院に運ばれるのだから、それでいいじゃないか」と病院行きを拒否してきた。入院したら「胃癌と大腸癌で既に手遅れです」と医者から死刑宣告を受けることになるだろうから「それを待つことにする」と言い張っていた。
  しかし、情けなくも、ついに猛烈な苦痛に耐えかねて、9月29日の月曜日に総合内科を予約して診察を受けた。
  そこでは10項目にも及ぶ検査を(2週間もかけて)やると言われ、第一回目は胃カメラを飲まされた(おそらく、医者は胃腸癌を疑っているのではないかと私は自己診断をくだしているが……)。
いずれにせよ、あとの項目の検査が全て終わる2週間後にしか、医者の診断はおりない訳だから、首を洗って死刑宣告を待つしかない。

◆不可思議な体験
  ところが、神仏の加護だったのか、身体の突然変異だったのか、祈祷師の魔法だったのか、自分で自分に納得できない不思議現象が起きて、とりあえずはお陀仏にならずにすんだ。 
  摩訶不思議な現象が起って死なずに、この原稿を書いている。
  むかし、三菱商事でいっしょに働いていたアミーゴが突然、我が家を訪ねてきた。早稲田大学機械工学部を優秀な成績で卒業し、ブラジルに移住してきて、三菱重工がドイツのティッセン・グループから買収したCBC重工で工業用大型ボイラーの据付工事のスーパーバイザーとして働いていた男である。私より3歳年上である。
  「CBCを退職してから何をやっているんですか?」と聞いたら、「宇宙エネルギーを人体に取り込んで万病を治すことを研究しています」と大真面目な顔で言い出した。
  やおら鞄から怪しげな器具らしきものや、教本めいた本や図版を取り出して延々2時間に及んでバカバカしいお説教をのたもうた。「この人、頭が変になったのでは」と思った。
  私の病気を「占って差し上げましょう」と、長さ15センチほどの木製の分銅の様な物を取り出し、長さ10センチほどの細い鎖の先端をつまんで、頭の先から足の先までをくまなく撫でるような、さするような仕草で、分銅を近づける。「分銅が右回転したら正常、左回転したら異常のお告げです」と神妙な顔である。
  足と胸板に近付けたら、分銅が左廻りに変わったのだ。指先につまんだ分銅の鎖の先端を操作しているのではないかと疑いの目をこらして見つめていたが 指先はピクとも動いていなかった。
  私は自分の今の症状を何も言っていないのに、彼は祈祷師か宗教家にでもなったような口ぶりで、私の苦痛が何であるかを説明しながら、また鞄から取り出した怪しげな物を広げて、金箔塗装された名刺大のプラスチック製のカードを靴下の中の土踏まずに敷きこんで「休んで下さい」と言い、胸と背中に首飾り状に紐のついているカードを首から吊るして「休んで下さい」とのたもうた。
  これは、トルマリン原石のパワーに宇宙のパワーを取り込んで、分銅に祈りを込めて医療カードに仕上げたもので、不思議な効力を発するものです。騙されたと思って、今夜から実行して下さい。これは今日のお見舞いとして無償で差し上げますからと帰って行った。

◆ぴたりと止まった痛み
  そんなバカな話なんてあるもんか、と思いながら、まあ置いていったんだからと、靴下の下に敷き込み、胸と背中に吊り下げて寝てみたのであるが、まさに奇跡と云うべき不思議現象が起きた。
  これこそ腰を抜かさんばかりの吃驚仰天。あれほど毎晩苦しめられていた、足の指が冷えきって激痛に襲われていたのがぴたりと止まって、胸板の骨なのか筋肉なのか判らぬ上半身全部の痛さが薄らいで、よく眠れたのには、もう狐に化かされたとしか言いようのない驚きだった。
  病院の検査には女房の運転する車で行ったのだが、15キロ程の距離が倍も三倍も遠く感ぜられるほどの車中苦痛の連続で「救急車を呼んで来て貰えばよかったな」と女房に嘆いた程だったのに、突然の祈祷師の来訪で、ぴたりと苦痛が止まった。畏怖しながら現実として信じられないのが正直なところである。
  2週間後の病院検査結果が判る前に苦痛が止まったことで「生死に関わる程の重大な病気は見つかりませんでした」と云う結果にでもなろうものなら、「ほれみろ。死ぬ、死ぬと言っていたのは、狼少年の大法螺だっただろう」と、皆の笑い噺になるのが必定である。

◆苦痛が消えた不可思議
  9月に入って、身体中の激痛に死ぬほどの苦しみを味わったが、友人の祈祷師まがいの指示で痛みがウソのように消えた。
  このことを「落書きエッセー」にして、友人にメール送信したところ、「信じようが信じまいが、治ったったのは幸せだ」と、お見舞いメールの返信を、たくさんの方々から頂戴致した。
  医者からは「科学的に説明できない現象は多々あるが、君が得難い体験をしたことは有難いことで、まだまだ長生きをするだろう」と言って頂いた。

◆科学的に説明できない現象
  激痛は去ったが、身体中に鈍痛が残っていることと食欲がすっかり無くなって、ガルボン・ブエノ街(旧日本人町)の丸海スーパー(中国系)から「わさび茶漬け」と「即席ラーメン」を買ってきて貰って、昼と晩に ほんのひと口が喉を通る有様である。
  2週間後に出るであろう病院の検査結果で何を言われるか判らないが、祈祷師のお念仏は検査結果にまでは及ばないだろうから、医科学の結論をただひたすら神妙に待つほかはない。 



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