HOME

高橋祐幸のブラジル便り・目次
 

高橋祐幸(たかはし ゆうこう)

ブラジル・サンパウロ在住。1933年岩手県生まれ。1960年にブラジルにわたり、日本商社の現地法人(三菱商事)に35年間勤務。退職後ボランティアでトヨタカップ南米代表実行委員を15年間務め、川崎フロンターレ、大宮アルディージャのブラジル代表顧問を約8年間務めた。県立盛岡中学(旧制)で、八重樫茂生(メキシコ五輪銅メダル日本代表キャプテン)と同級生だったことがサッカーに携わる機縁ともなって、日本にもブラジルにも広いサッカーの人脈を持つに至った。


 

 


#41
読んで味わうブラジル料理(3) ムケェッカ
(2014/8/23)

◆北東部港町の漁師料理
  ブラジルの北東地方、大西洋に面したサルバドールやレシフェの浜辺から、漁師たちが朝まだ暗いうに「ジャンガーダ」と呼ばれる丸太ん棒に板を打ちつけた筏みたいな舟に帆柱一本をた立てて沖へ魚を獲りに出かける。
  大きな手網で掬い上げるようにして魚を獲る。大きさにもよるが、せいぜい20〜30匹も入ると満杯になる生け簀(2メートル4方くらい)の箱が筏の下(底)にしつらえてあり、それが一杯になったジャンガーダが次々に浜辺に戻ってくるのは夕方近い午後3〜4時頃になる。
  浜辺に着くと魚を引き取る商人と浜辺のお屋敷に住むお金持ちたちが集まってきて、ちょっとした市場が立つ。ひと通り売り買いが済んだ漁師たちは売れ残った何匹かの魚を持って家路につく。
  漁師のカミさんたちは夫の無事と僅かばかりの売上金を持ち帰るのを待ちわびて戸口に佇んでいる。夫の姿が見えると駆け寄って熱いアブラッソ(抱き合う)を交わして「GRASSAS A DEUS」(神様のお陰です)とつぶやきながら家の中に入っていく。
  そこには支度された夕餉の鍋から湯気がのぼって、いい匂いが狭い家の中にたちこめている。
  漁師たちの家には冷蔵庫もないから、前の日に持ち帰った魚をその夜のうちに、ぶつ切りにしてマンジョウカ(山芋)を摺って粉にしたのをまぶして、デンデ油(椰子の実油)に漬け込んで一晩しまってく。それを夫の帰る時間を見計らってグズグズと煮込む。それに辛子や炒ったマンジョウカの粉などをご飯にかけて食べるのが「ムケェッカ」と呼ばれるバイア料理である。

◆サンパウロではフランス風に
  北東伯地方は年中真夏なみに暑いから、漁師は褌―丁でピンガを呷りながら熱いムケェッカをむしゃぶる。開け放した戸口から吹き込む海からの風が、ひんやりと感じられて心地よい眠気にゴロリと横になる。
  いつ頃からかサルバドールの街はずれの海岸に「郷土料理・バルガッソ」という名のムケェッカを食べさせるレストランができて(ブラジル王政時代の首都でもあった)古都を訪ねて内外から押し寄せる観光客の評判の店になって繁盛している。ガルソネッタ(お給仕さん)は、みな襞々のこんもりと裾の広がったケバケバしい原色花柄のスカート姿(バイアの娘・バイアーナ)の格好をしているので、観光客たちは彼女らと一緒に写真を撮ろうと、ムラッタ(褐色肌の美人)ガルソネッタを店中追い掛け回すことでも有名である。
  サルバドールが本店で大繁盛した「バルガッソ」はサンパウロに支店を開いてから、もう10年以上にもなる。サンパウロでは上流階級を客筋にして(魚もあるが)伊勢海老や帆立貝やらを(デンデ油ではなく)オリーブ油で煮込んだ上品な味つけにしている。それはフランス料理の「ブイアベース」に似た料理にして上流階級をターゲットにしたのが大当たりした。
  ほどよく冷えたアルゼンチンの有名なワインの産地メンドサの上等白ワインを飲みながら、熱い(ここではバイア郷土料理ではなくヨーロッパ風に洗練された味になっている)ムケェッカを食べるために、土曜・日曜の昼食時間は行列が出来るほどの満員盛況ぶりである。
  日本から出張で来られる重役さんたちの接待は昼食ではなく夕食になるが、そこにご案内した重役さんたちは、こぞって「こりゃとても旨い」と褒めそやしてくれる。
  ブラジルを訪れる機会があったら(バイアの漁師の味とサンパウロの紳士・淑女の味の)ムケェッカ料理の食べ比べを是非お奨めしたいものである。



◆「ブラジル便り」に対するご意見・ご感想をお寄せください。 こちらから。


Copyright©2004US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved