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高橋祐幸のブラジル便り・目次
 

高橋祐幸(たかはし ゆうこう)

ブラジル・サンパウロ在住。1933年岩手県生まれ。1960年にブラジルにわたり、日本商社の現地法人(三菱商事)に35年間勤務。退職後ボランティアでトヨタカップ南米代表実行委員を15年間務め、川崎フロンターレ、大宮アルディージャのブラジル代表顧問を約8年間務めた。県立盛岡中学(旧制)で、八重樫茂生(メキシコ五輪銅メダル日本代表キャプテン)と同級生だったことがサッカーに携わる機縁ともなって、日本にもブラジルにも広いサッカーの人脈を持つに至った。


 

 


#39
読んで味わうブラジル料理(1) シュラスコ
(2014/7/29)

◆ガウチョの大移動
  アルゼンチン・タンゴの名曲「アディオス・パンパ・ミヤ」(さらば草原よ)は誰でも知っている名曲だが、その草原に繰り広げられる雄大な物語をひとつ披露したい。
  ガウショ(牧童)たちは牛の大群(500頭から1000頭)を40〜50キロ離れた最寄りの鉄道駅まで誘導する。1日に約4〜5キロしか進めないので、何日もかけた旅になる。
  牧場から最寄りの駅までの行程は、谷あり川ありのなかを延々と続く草原である。移動する大群のために、もうもうたる土埃が立ちこめる。30メートルほどの間隔で馬に乗った牧童たちは、1メートルを超す長さの角笛を背にしていて、先頭の牧童から伝える角笛伝令を、後続の牧童たちに次々と伝える。その音が草原の風に乗って流れていく。
  「あと300メートルくらい先にきつい崖があるぞ」とか「まもなく30メートル幅ほどの川を渡るぞ」とか、角笛にはそれぞれ伝令の意味がある。
  牛の行列の乱れをもとに戻したり、スピードを速めたり抑えたりしながら大群は移動するのである。

◆牛1頭を火炙りに
  やがて樹のたくさん生えていている涼しい場所が見つかると待ちに待った昼休みの角笛伝令が伝わってくる。
  牧童たちは餌になる草叢に牛を引き寄せて大群を休ませ、木陰に火を燃やして1頭の牛を殺し、腰に吊るしたファッコンと呼ばれる50〜60センチ以上の長い刃のあるナイフで肉片を棒に刺して火焙りにして食べる。
  牛の肉片だけではビタミン類の不足で体質が酸性になるので、マテ茶(ビタミンAやアルカリ成分、ミネラルが多く含まれる木の葉を煎じたお茶)を飲んで野菜代わりにして栄養を調整しながら旅は続けられる。
  大草原の彼方(遥かなる地平線)に、真っ赤に染まった陽が沈みかけると、夏場でも大草原の気温はかなり低くなる。牧童たちは牛を木陰に集め、焚火を燃やしたりしたあと、携えてきたフェイジョン豆を煮こんだ鍋を囲んで、焼肉とピンガ(砂糖黍から絞って発酵蒸留させたテキィラのような強い酒)で体を温め、毛布にくるまって樹の下に横になる。その頃は満天の星がまるで突き刺さってくるように降ってくる。

◆シュラスコの起源
  牛の大群の旅のなかで、食べるために何頭かの牛を殺す。崖から転がり落ちて何頭かが死んだりする、なかには毒蛇に噛まれて死ぬ牛もいる。しかし、大群が通過するごとに、いくつかの牧場から何頭かの牛が合流してついて来るので、旅が終って貨車に積み込まれるときに数えると、ちゃんと最初の頭数に不思議と合うようになるのだと云う。
  10日ばかりの大群と共にした旅を終えた牧童たちは 街道を2〜3日駆けてそれぞれの家に戻る。
  次の旅までの数十日までの間に、持ち帰った肉片を炙って隣近所の住民にふるまったのが「シュラスコ」と名付けられて後に一般市民にも広まった。
  いまでは「シュラスカリア」と呼ばれるレストランが開業されて、ブラジル人にとって最高のご馳走になっている。
  年々増える外国からの観光客のもてなしにもシュラスコが最も喜ばれている。
  大草原を牛の大群を追って旅する雄大な光景を思い浮かべながらシュラスコを食べると、またひとしを味わい深いものがある。



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