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高橋祐幸のブラジル便り・目次
 

高橋祐幸(たかはし ゆうこう)

ブラジル・サンパウロ在住。1933年岩手県生まれ。1960年にブラジルにわたり、日本商社の現地法人(三菱商事)に35年間勤務。退職後ボランティアでトヨタカップ南米代表実行委員を15年間務め、川崎フロンターレ、大宮アルディージャのブラジル代表顧問を約8年間務めた。県立盛岡中学(旧制)で、八重樫茂生(メキシコ五輪銅メダル日本代表キャプテン)と同級生だったことがサッカーに携わる機縁ともなって、日本にもブラジルにも広いサッカーの人脈を持つに至った。


 

 


#37
ブラジルW杯を終わって
(2014/7/17)

◆我が家の孫はドイツを応援
  どちらが勝っても納得のいく好試合だった。延長戦でドイツがアルゼンチンに競り勝って、過去南米で欧州チームがW杯優勝を遂げたことが無いと云うジンクスを破って、通算TETRA(4回)優勝を果たした。
  リオのマラカナン球場には、ドイツから駆け付けたメルケル首相の姿があった。試合終了のホイッスルの瞬間には、スタンドのドイツ応援ツアーの人々は飛び跳ね、抱き合い、感激のあまり泣き出す人もありで歓喜の頂点に達した。
  我が家の孫(12才)はブラジルが敗退したあと、ドイツのユニフォームをせがんで買って貰い、それを着てドイツを応援してはしゃいでいたが、私は「ああこれがブラジルだったらなあ」と好試合に興奮することもなく「これがW杯優勝戦のホントの実力だなあ」と頷きながらの、景気つけの一杯もない、オトナシイ観戦だった。

◆正真正銘のサッカーファン
  2002年日韓W杯決勝戦を横浜球場で観戦し、ブラジルがドイツを破ってPENTA(5回)優勝を成し遂げたときは、人前も弁えずにオイオイと声を上げ、ボロボロこぼれる涙も拭わずに泣いて泣いて泣き通したが、今回はテレビの前に突っ伏して泣く筈だったのに、ブラジルが信じられない歴史的惨敗を喫したことで、あまりのことに茫然となってしまって涙も出てこなかった。
  日本との時差12時間のブラジルでの大会だったために、ブラジルでの試合開始時間13時、16時、17時、18時は、日本の真夜中か明け方だったから、日本の方には睡眠不足の苦痛を与えたかと思うが、決勝トーナメント(16強)に入ってから、それでも眼覚まし時計を掛けて起きて、寝惚け眼(まなこ)をこすりながらテレビ観戦した人は、正真正銘のサッカーフアンだろうと私は思う。そしてその人たちはブラジルの惨敗を嘆きもし、ドイツの優勝を喜んだ人達ではないかと思っている。

◆リオ五輪は返上せよ
  ひと月余りに及んだ世紀の大祭典・地上最大のショウは終わった。祭りのあとの虚脱感・空漠感から立ち直るには少し時間が掛かるかもしれないが、争議や乱闘騒ぎが起こらずに済んで呉れればいいがと祈るばかりであある。
  しかし、オリムピックにはあまり興味を示さないブラジル人のこととて、2年後のリオ・オリムピックは多くのブラジル人からソッポを向かれ、ますます政府の無駄使いが目立って、反対騒ぎが大きくなるのではないかと心配である。今のうちにIOCにオリンピック開催を返上した方が賢明ではないかとさえ思える。
  昨年11月から「W杯の準備遅れ」についてFIFAとブラジル政府の争いを「落書きエッセー」に書き続けてきたが、何らかのコメントなり返信を送って頂いたのはホンノ10数人からに過ぎず、もうサッカー気狂いの旗印も降ろし、サッカーも迷惑メールの押し付けも止めて、深く静かに潜航した方がいいのではないか、その方が世の為・人の為ではないかと、長いこと独りではしゃぎ騒いでいたことを反省しているところである。
(7月14日)


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