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宴のあと(下) 〜2002年・日韓W杯の思い出〜
★皇居拝観の幸運に恵まれる
W杯2002のブラジル・チーム応援に韓国と日本へ行ったとき、セレソンの8試合を全部観るのに、試合と試合の間に4〜5日のインターバルがあり、他の試合はホテルでル−ムサービスの料理とワインを運ばせてテレビ観戦ですごせたが、それでもありあまる時間をどうして過ごそうかと思っていたら、たまたま宮内庁官房の方と知り合いになり、その方のご案内で皇居の大奥を拝観できると云う幸運に恵まれ、快晴の一日に一般の人は通れない桔梗門から入門、首都のど真ん中にこんな広大で閑静な場所があったのかと想像もつかぬ厳かさに身の引き締まる思いであった。
皇居の総面積は115万平方米(約34万坪)あり、東京の日比谷公園の約8倍あるとのこと、皇居のはじまりは1456年に足利幕府の命によって大田道灌が築城した江戸城で、1868年(明治元年)朝廷に無血開城されて東京城と改名され、明治天皇が京都からお移りになられ、戦前・戦中は宮城と呼ばれ、戦後皇居と呼ばれるまで連綿と続いているのである。
この広大な敷地は二分されていて、旧本丸や天守台のあった皇居東御苑と両陛下のお住まいである吹上御苑になっている。
皇居東御苑には、皇太子妃雅子さまが、前年(2001年)1月に愛子さまをご出産なされた宮内庁病院、昭和天皇が国へご寄贈なされた絵画・書画・工芸品などの美術品を保存管理して一般に公開展示している尚蔵館、皇太后さまの還暦を記念して(昭和41年に)完成した桃華楽堂、皇宮警察車馬課(昔で言えば近衛騎兵隊か)などがあり、吹上御苑には昭和天皇がお住いになられた吹上大宮御所、現在の天皇皇后両陛下がお住いの吹上御所、宮中の祭祀が執り行われる賢所などの宮中三殿、生物学御研究所、宮内庁々舎、一般に宮殿と呼ばれている長和殿・豊明殿がある。
宮殿は新年祝賀の儀、内閣認証式、勲章授与式、外国の元首を迎えての宮中晩餐会、歌会始めの儀などが催されるが、新年と天皇誕生日には皇室ご一家が長和殿正面にお出ましになられて、二重橋を渡り皇居正門から入門する国民の祝賀をお受けになられる。
★森閑とした広大な敷地
この広大な皇居の中には宮内庁や皇宮警察の職員が2000人働いていると云うが、一日中廻ってせいぜい20〜30人くらいしか人影を見掛けなかったほど森閑としており、飛べそうもない大きくて重そうな鴉だけがたくさん見受けられた。
謁見の間や晩餐会の間に飾られる江戸時代から丹精込めて手入れされている盆栽が何百鉢もある農園や、陛下が田植え・稲刈りをなされる田圃も見せて頂いた。
また昭和天皇が戦前・戦中・戦後にお乗りになられた御料車ロールスロイスが菊のご紋が今なお燦然と輝いて保存されていたし、現天皇が皇太子の時に美智子様とご成婚されて皇居から青山皇宮御所まで華麗なパレードをされた馬車もピカピカに磨かれて飾ってあった。
ところどころで記念写真を撮らせて頂いたが、吹上御苑の周辺は遠慮願いたいとのことで、その代りにと皇太子妃雅子さまが、成長された愛子さまを抱いて写された皇室ご一家の最も新しい御写真額をお土産に頂戴してきた。
また天皇陛下と皇太子殿下のお好みであると云う石田家の大吟醸酒(黒の漆塗りの木箱に納められた)と恩賜の煙草ひと箱も頂戴した。煙草はブラジルに帰国してから友人たちに一本ずつ分けて吸って貰った。
昔誰が詠んだか思い出せないが「なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と云う一首がまさに実感として胸に迫り、皇居拝観の一日は69年生きた私の生涯最高の記念として深く心に刻み込まれた。
★宴のあとに何が残るか
インタ−バルの他の日にも、たまたま知り合った由紀さおり・安田祥子の童謡歌手姉妹とデュエットでカラオケを歌ったり、写真に一緒に写ったり、色紙(しき紙)にサインを貰ったり、思いがけない楽しいひと時を過ごすことが出来た。
また紅白歌合戦などテレビでも有名な津軽三味線の名人とも知り合い、名人の伴奏で「望郷じょんから」と「帰ってこいよ」を歌わせて頂いたが、それも大きな思い出のひとつとなった。
セレソンのW杯優勝の瞬間に立ち合って人前も憚らずオイオイと泣けたり、皇居拝観に感動のあまりにむせび泣いたり、由紀・安田姉妹歌手と「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」と合唱したら突然涙が吹き出して絶句してしまったり、一体自分はブラジル人なのか日本人なのかと自問自答にくれたほどであった。
数々の感動溢れる思い出を大型トランクに詰め込んでブラジルに戻ったが、ワ−ルドカップがその宴の後に日本に何をもたらすのか、熱しやすくて冷めやすいと言われる日本人のただ一過性の祭り騒ぎに終わってしまうのか、新たに代表監督に就いたジ−コによって2006年のドイツ・ワ−ルドカップに夢を繋いでくれるのか、Jリ−グ人気が再び蘇るのか、日韓の親善がホントウに根づくのか。「宴のあと」の興奮から覚めた今、静かにその余韻を噛みしめながらこの先を見守っていきたいと思っている。
(2002年9月記)
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由紀さおりさん(左)と熱唱 |
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皇居・豊明殿の前で |
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