■エピソード1:クラマーさんの提案
日本サッカー再編成の基礎を作った人にドイツ人のデトマール・クラマーさんがいる。 1964年の東京オリンピックの前に当時の西ドイツから招かれて、日本代表チームを強化しただけでなく、日本のサッカーの考え方や組織を変えるために活動した。
日本に来てクラマーさんが驚いたことの一つは、トップレベルのチーム同士の試合が少ないことだった。当時、有力チームは大学と実業団(会社)チームに分かれていて対戦の機会は、ほとんどなかった。また全国大会は勝ち抜きのトーナメントばかりで、地方の有力チームは、勝ち進まないかぎり、中央の強いチームと争う機会はなかった。
そこで、クラマーさんは、大学であろうと実業団であろうと、強いチームを集めて全国リーグを組織することを提案した。
東京オリンピックのあと、この提案によって日本サッカー・リーグが結成された。大学チームの参加は見送られ最初は会社チームだけだったが、やがてクラブチームも昇格して加わった。この日本リーグがもとになって1993年からプロ化してJリーグになった。
現在のJリーグは一部のJ1と二部のJ2があり、その下にJFL(日本フットボール・リーグ)がある。さらに、その下部には地域リーグがあって、底辺から頂点までつながるピラミッド型の組織になっている。
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