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◆フリーキック

W杯取材記者落第てん末記 (3/3)        
(中条 一雄 2006/10/10)


 消息通によると、最近は、取材する側が、まるで先生のご機嫌をとるようにペコペコし、取材される方が威張っているそうだ。当然の成り行きかもしれないが、この逆転現象。記者は発表ものを咥えて帰るだけ。それがサッカーに限らず、スポーツ全体の一般的な傾向になりつつある、というから怖い。記者道も地に落ちたものだ。
 先日のトリノ冬季オリンピックの日本の成績が悪かった。それは情報不足の協会の広報の言うことを、鵜呑みにしたからだ。つまり不勉強な記者に、本当の実力を見抜く目がなく、協会に騙された結果だ。彼らは日本だけを見て、世界を見ていない。日本代表を見て、スポーツを見ていない。
 だから、たかがJリーグを点数化して、まっとうな「審査」をしたと思っている。笑いたいよ。

 私が初めて取材した74年大会は、日本協会が記者証に口出しすることは一切なかった。取材者もたしか4人だったし、個人で直接FIFAへ申し込めばよかった。
 ところが最近は取材者が増えて、各国協会が介在することになった。だから、広報部が権力者になって、傲慢にも「審査」という、おこがましい言葉を、なんら抵抗もなく平気で使うようになった。ワールドカップというカードをちらつかされては、生殺与奪の権を握られたのと同じ。おこがましくも、記者個人の能力を価値判断する。
 これで、まともな記事が書けるだろうか。御用記事を書く記者は事実上の「宣伝要員」だ。これも時代の流れか。

 そんなことを考えながら、もう一度、広報部から来たFAXを読み返してみた。
『平素は本協会の諸事業に対し特別なご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。』
  なんと白々しいことよ。「特別なご高配」「厚く御礼」。この慇懃無礼。厚く御礼されるほど、ご高配してないよ。その報いがこれか。もうこんな連中とは縁切りだ。私は胸がわるくなって、広報部に電話した。
「今まで、毎日、何十枚という連絡のFAXを貰っているが、今後一切いりません。打ち切ってください。FAXを見たら頭が痛くなる。それから、広報を通して配布する記者用の取材証。これも今後一切要りません」
 手続きが面倒で、ひそかに「審査」の対象になる取材証。そんなものは要らない。とはいっても、私はサッカーが好きだ。見るのをやめるわけにはいかない。取材証でなくキップを買って見に行く。
 ドイツへも、ワールドカップが済んだのちの9月にクラマーさんを再訪するつもりだ。「ワールドカップへは行けなくなりましたが、9月頃またお宅でインタビューさせてください」と、クラマーさんにFAXした。余った人生をクラマーさんの伝記作りに使いたい。もういいよ、やめた、やめた、ワールドカップは。終わり。新聞や雑誌の切り抜きも、みんな捨てる。
 そして、そして、忘れてはいけない。昔取材したり、一緒に旅したプレーヤーやコーチは、みんな友達だ。歴史や伝記を書くことを頼まれたり、その他の仕事で、今後もインタビューはさせてもらうつもりだ。あつかましいか。

 かつて川淵会長がJリーグのチェアマンのころ、入場券を買って試合をみたことがある。そして、試合後「今日は自分の金で見たのだから、どんな批評でもできるな」と正論を吐いた。それが本来の考え方だ。
 いまのような強権的な、まるで記者証を恵んでもらうような形では、まともな記事は書けない。そんな形にしたのも、記者側のだらしなさだが。
 古い記者の私に、昔ほど原稿の注文はこない。だが、もし来れば、誰はばかることなく自由奔放に書きたい。いまでも、そうしているつもりだし、それが本当のライターだ。昔から通信簿とかエンマ帳なんてものは虫が好かない。裏でコソコソやるCIAやゲーペーウーも嫌いだ。
 
 年が明けて、広報部の女性から電話があった。「もしご入用なら、ワールドカップの日本戦の切符をおわけします」と。悪いけど、そんなことで、だまされない。恩を着せられてもかなわない。
 私は日本戦を見るために、取材証がほしかったわけではない。ワールドカップを取材するためにほしかったのだ。日本戦を見るためだけに取材を申請し、審査をパスした記者がいるとしたら不愉快だ。日本が負けたら、ゾロゾロ日本に帰ってくる記者がたぶん多いんだろうな。それを見抜けない広報のチエのなさ。
 私は広報部の女性に言った。「もし準々決勝から決勝までの切符が、もらえるのなら頂きますが」。「それはありません」との返事。かくして私の74年以来続いていた9回目のワールドカップ取材は、断ち切られた。

 以上、笑われることを承知で、くどくどと、未練がましく、なぐり書きして来た。
 だが、これは、最初に書いたように、それだけ私がワールドカップに執着し、思い入れが強く、生き甲斐だった、ということである。
 私は、1952年からサッカーの記事を書いて来た。半世紀を越えた。あの体が躍動するような興奮する瞬間にも立ち会えなくなった。国際メディアセンターの生き生きと仕事している連中とも会えなくなった。
 「終わり悪ければ、すべて悪し」である。

 

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