『走るサッカー』にはじまって『考えて走る』『3人目の動き』と、オシムの言葉が変化してきた。オシム監督が変えたわけではない。マスコミの表現が変わってきただけだ。
『3人目の動き』は「むかしも使われていた言葉だなあ」と思っていたら、それを裏付ける文章に出くわした。サッカーマガジンの1967年(昭和42年)1月号に、ぼく自身が書いた記事である。
Jリーグの前身である日本サッカーリーグ1966年度シーズン総評を4ページにわたって書かせてもらっている。『名勝負とぼくの選んだ個人賞選手』と題がついている。
その中に、優勝した東洋工業(広島)について、当時日本代表チーム監督だった長沼健さん(現在日本サッカー協会名誉会長)の言葉を引用している。
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長沼監督はいう。
「東洋の攻撃の秘密は“第三の動き”があること。そして、その第三の動きが長いことだ」と。
中盤で小城(得達選手、現在の広島県協会会長)がボールを持ったとき、他の選手がパスを受けるために走る。ほかのチームでは次にパスを受ける者の動きが目につくだけだが、東洋工業では3人目、4人目の者が同時に走っているから、パスがどこへ出るのか分からない。
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40年前のこの記事を読むと『オシムのサッカー』について書いたのではないかと錯覚しかねない。
当時、選手たちがこのサッカーをちゃんと理解していたことを示す部分もある。
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たとえば、今西(和男)選手は、6月にスコットランドの“スターリング・アルビオン”と対戦したあとでサッカー協会へ出した報告の中に、彼らの特徴は「第3の動きの長いこと」であり、この点をただちに見習わなければならない、と書いている。
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このように見ると『オシムのサッカー』についてのマスコミの表現は、必ずしも新鮮とは言えない。ただし、この言葉、をいまになって、なぜ改めて持ちださなければならないのかを考えてみる必要はある。
ところで、サッカーマガジンの古い記事を持ち出したきっかけは、創刊(1966年)当時にぼくが書いた記事を『ビバ!サッカー研究会』ホームページ内のアーカイブス(古文書館)に収録するために、たまたま読み返したことだった。『ビバ!サッカー研究会』は、このページを読んでくれている仲間のグループである。
つまり、当時のぼくの書いたものは、そろそろ古文書扱いである。でも温故知新(ふるきをたずねて新しきを知る)のも悪くないのではないかと思っている。 |