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サッカーマガジン 2006年8月15日号
ビバ!サッカー

W杯PR映像とサッカーの理念

 ワールドカップも遠ざかりゆく思いだが、あと一つだけ書き留めておこう。それは広告映像のことである。
 ドイツでの試合前、どの会場でも大会に協力している主要企業のPR映像がスクリーンに映し出された。テレビ中継のコマーシャル・フィルムにも同じものが使われていた。
 プロのプレーヤーと小さな子どもたちが、手をつないで試合をする。得点されるとゴールキーパーが地面をたたいで悔しがる。手をつないでいる子どもも同じように地面をたたいで悔しがる。これはマクドナルドの広告である。
 ペレやマラドーナの出てくる過去のワールドカップの有名な場面の映像と組み合わせて、土のグラウンドで同じプレーをしているアマチュア・プレーヤーの映像がフラッシュバックする。これはドイツの携帯電話会社だ。
 俊輔も出てくるアディダスの「+10」は、日本でもあちこちにあったから、見た人も多いだろう。小さな子どもがボールを抱えて、自分以外の10人のメンバーを呼び出す。世界のスタープレーヤーが、次々に出てくる。最後に「ベッケンバウアー」と呼ぶと、友だちが「そりゃ無理だよ」と笑う。ところがアパートの陰からベッケンバウアーが出てくる。
 そのほか、ヒマラヤの山の中でやっているサッカー、アフリカの貧しい子どもたちが遊んでいるサッカーなどの映像を、広告で楽しめた。 
 一連の広告には、二つの共通の特徴がある。一つは「いつでも、どこでも、誰とでも」という、このスポーツの普遍性を強調していることである。もう一つは「プロもアマも同じサッカーを」というプロアマ共存の考えにもとづいていることである。こういうサッカーの理念を打ち出して広告を作ってあるのに感心した。
 ところがである。
 二つの日本企業の広告映像は、ともに単なる製品の商業宣伝だった。
 FIFA(国際サッカー連盟)あるいはドイツのワールドカップ組織委員会が「サッカーの理念をうたった映像を」と要望したのではないかと、ぼくは想像したので、日本の企業だけが、ふつうのコマーシャルだったのは奇異に感じた。
 業界にくわしい友大にきいてみた。
 「主催者側が要望を出せば、広告エージェントは、それに沿ったアイデアを提案しますよ。でも最終的に決めるのは広告主だから、スポンサーがウンと言ってくれなければダメでしょう」
 日本の企業はやはり、エコノミック・アニマルなのだろうか?
 それとも、その国のサッカー文化の厚みの違いなのだろうか?


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