アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 2006年8月1日号
ビバ!サッカー

ドイツW杯の「たしかな成功」

 ドイツのワールドカップは、少なくとも、ぼくが取材した10度の大会のなかでもっとも「たしかな成功」だった。
 人びとが、もっと楽しんでいた大会はほかにあった。1970年のメキシコ大会がそうだった。技術的、戦術的に新しいものを生み出した大会も、ほかにあった。オランダのトータル・フットボールが登場した1974年の西ドイツ大会がその例である。
 今回のドイツ大会は、運営がしっかりしていた点で成功だった。また、ドイツの国民も、世界中から来た人たちも、みんなが楽しんだ点で成功だった。試合内容については、いろいろな意見があるだろうが、好カードが多かったし、若いスターの登場もあった。そういうことを総合して考えると堅実な成功だったと思う。
 これは、ベッケンバウアー会長の率いるドイツの大会組織委員会が、はっきりした考え方を打ち出し、それを具体的な施策にして実行したためだと思う。
 「みんなが楽しめるお祭りに」というのは基本方針だった。そのために12の会場都市で大会期間中を通して「ファン・フェスタ」を開催した。テレビ映像を映す大スクリーンを中心に、お祭りの縁日を大規模にしたような飲食の屋台を出し、ロックやダンスの舞台やミニ・サッカーのコートを作った。ドイツ人だけでなく外国からきたサポーターたちが、ここで楽しみ、交流した。テレビ映像を劇場形式で公開して見せることについては、法律的にいろいろな主張があって一筋ナワではいかないらしい。2002年大会のとき日本では映像権をタテにパブリック・ビューイングを制限したが、今回、ドイツの組織委員会は、映像権をFIFA(国際サッカー連盟)から買い取る形で実現させたのだそうだ。
 その背景には一般大衆がワールドカップを見るのは難しいという事情がある。
 テレビ中継の普及で大会の人気が高まり、世界の各地からお客さんがやってくる。しかし入場券の枚数は限られているし値段も高い。ファン・フェスタはその弊害を減らすための現実的な対策である。
 FIFAは「友だちを作るとき」「人種差別にノーと言おう」をスローガンに掲げた。これもファン・フェスタに結びついていたし、ほかの場面にも表現されていた。
 そして、最後は「ダンケ」(ありがとう)だった。健闘したドイツ代表チームは胸に「ダンケ」と染め抜いたユニフォームでサポーターの集まりに現れ、ベッケンバウアーの組織委員会は世界各国と大衆に「ダンケ」を表明した。「ダンケ」でしめくくる筋書きが、あらかじめできていたかのようだった。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ