ワールドカップ報道の量に仰天している。一般紙が開幕前から毎日、特集ページを組んでいる。日本代表チームが出発前のキャンプで高校チーム相手に練習試合をした様子まで掲載されている。40年以上前からのサッカー記者としては、まったく今昔の感にたえない。
昔の新聞社では、ほんの数行の海外のサッカーの記事を載せてもらおうとしても、たいていはボツになったものだ。
量だけではない。質も高い。一般紙の担当記者はサッカーをよく知っているし勉強もしている。日本代表だけでなく、海外で「世界のサッカー」を直接、取材している。1年がかりで海外で蓄積しておいた材料を使いこなし、中身の濃い連載や特集を組み立てている。
40年前ころのぼくたちには、海外のサッカー事情を直接取材に行く機会はめったになかった。外電を翻訳してわずかな情報を提供するのが、せいいっぱいだった。横のものを縦にするだけ、つまり英詰を日本語にしただけと自嘲していたものである。
先日、朝日新聞出身の中条一雄さん、毎日新聞出身の荒井義行さん、それに読売新聞出身のぼくの3人の座談会があった。オールド・サッカー記者の今昔ばなしである。
ぼくは1970年大会で、はじめてワールドカップを見た。当時は特派員とは名目だけで自費でメキシコまで行った。荒井さんは1974年西ドイツ大会からだが、やはり自費だったという。当時の日本の新聞は、ワールドカップを、記者を派遣して報道するほど価値のあるものだとは認めていなかったのである。
西ドイツ大会のとき、荒井さんは「オランダがおもしろそうだ」とカンが働いて、その試合を追い掛けたという。そうしたら「トータル・フットボール」が旋風の目になった。ぼくも、あのときのオランダの革命的な戦法に目を洗われた思いがしたものだ。
いまは、活字でも映像でも、事前に情報があふれている。だから若い記者たちは現地に行ってから新鮮な驚きに打たれることはないかもしれない。そうだとすれば世界のサッカーの情報に飢えていて、自費で出掛けてショックを受けたぼくたちのほうが幸せだったのかもしれない。
このオールド記者3人の座談会をしたのは「風」というウェブマガジンだ。新書版の書籍のデータベースのサイトが運営しているところで、サッカーとは関係がない。こういうところでもインターネット上でワールドカップを取り上げる。時代は変わったなぁと思う。
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