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サッカーマガジン 2006年4月18日号
ビバ!サッカー

日韓ワールドカップのその後

 つぎのワールドカップを前に、4年前の大会が残した成果を振り返って評価しておくのも悪くない。いや、必要なことである。
 というわけで、日本スポーツ社会学会が「アジア・スポーツ・システムのなかの日本・韓国〜ワールドカップ・サッカー日韓共催後のスポーツ現象を解く〜」と題するシンポジウムを開いた。大学の研究者の集まりだから、題名は長くて、ものものしいが、要するに「2002年のあと、日本と韓国はどうなっただろうか」ということである。
 大学の研究者以外では浜口博行さん(電通サッカー事業局長)がシンポジストとして参加して「東アジア・サッカー連盟の誕生」について話をした。東アジア・サッカー連盟は日韓共催の「落とし児」である。当時、ぼくは「大会後の課題は中国などを加えた東アジアのサッカーの結束だ」と、この連載で提唱したことがある。だから、おおいに「我が意」を得た。
 日本については有本健先生(ロンドン大学ゴールドスミス校社会学部)が「大分の事例」を紹介した。大分県はワールドカップ招致を機会に「トリニータ」を立ち上げ、さらにカメルーンのキャンプ地になった中津江村が有名になった。「アルビレックス」の新潟とともに、ワールドカップと地域との結びつきによる成果である。
 韓国から招待されたチョン・ヒジュン先生(釜山・東亜大学)は「社会と政治の変化」を取り上げた。例の韓国式の応援「テーハンミングッ」の話も出た。数百万の人びとが、同じ赤いシャツで街頭に出て「大韓民国」を連呼する。これを「ファシズムの兆候」だと警戒する声もあるということだったが、ぼくの見方は違う。前号に書いたように、ワールドカップを機会に新しいスポーツ文化が広まり、定着したものだと思う。
 「ヨン様ブーム」のような新しい韓流文化の流入にも、日韓共催が刺激になった面があるのではないだろうか。ワールドカップがまいた種は、この4年間に芽を出し、着実に育ちつつあるように思う。
 いろいろな曲折はあるにせよ、大衆の大きな流れは、東アジアの結束と平和に向かおうとしている。楽観的過ぎるかもしれないが、そう信じたい。
 ところで、この学会に、ぼくは兵庫大学の教員として出席した。3月末で大学をやめたので、不似合いな肩書きは、これが最後になった。4月からは、東京の渋谷にある「ビバ!サッカー研究会」の事務所を拠点に、本来のサッカー・ジャーナリストとしての仕事を続けていきたいと思っている。今後とも、ご協力をお願いする。


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