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サッカーマガジン 2006年4月4日号
ビバ!サッカー

野球のWBCとサッカーのW杯

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が米国で開かれた。日本ではプロ野球の「世界選手権」が創設されたような触れ込みの報道もあるが、実情はちょっと違うようである。
 サッカーの世界選手権であるワールドカップの創設は1930年である。そのときと比べてみるとどうだろうか。
 フランス人のFIFA(国際サッカー連盟)会長、ジュール・リメがワールドカップを創設した動機は二つあった。
 一つの動機は、オリンピックのサッカー競技で南米のウルグアイが優勝したのを見たことである。大西洋の向こう側にレベルの高いサッカーが発展していることを知り「本当の世界一」を決めるには欧州と南米がともに参加できる大会を開かなければならないと考えた。
 もう一つの動機は、プロもアマチュアも含めて世界一を決める大会にしようとしたことである。当時、オリンピックに参加できるのは、厳重にアマチュアに限られていた。しかし欧州のサッカークラブでは、試合に出てお金をもらうプレーヤーもアマチュアといっしょにプレーしていた。そこでアマチュア主義のオリンピックとは別に、アマプロ共存の大会を創設して「本当の世界一」を決める大会を開こうと考えたのだった。
 それから76年遅れて始まった野球のWBCは、かなり背景が違う。
 ワールドカップは、サッカーが世界に広まっていたために必要になったのだが、野球のWBCは米国中心である。主催も運営も米国のプロ野球選手会で、国際的な組織ではない。WBCの意義は、世界一を決めることではなく、野球という米国のスポーツを世界に知らせることにある。そう考えたほうがいい。
 サッカーのワールドカップは「アマチュアリズム反対」ではじまったが、野球のWBCはオリンピックのアマチュアリズムが崩壊したあとにはじまった。野球はいったんはオリンピック競技に採用されたが、2012年のロンドン・オリンピックでは除外されることになっている。結果的には、WBCは「オリンピックの野球の代わり」という形になった。
 ぼくの見るところ、WBCはテレビ番組として売るために企画されたイベントである。これが、サッカーのワールドカップのように「真剣に世界一を争う」大会になるかどうか、「世界の大衆の楽しみ」に成長するかどうかは、いまのところは、かなりあやしい。
 日本と米国との試合で、日本の勝ち越し点が、米国人の主審の不可解な判定で取り消しになった。中立の審判員を起用できないようでは、国際大会としては前途多難である。


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