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サッカーマガジン 2006年3月14日号
ビバ!サッカー

ツートップを機能させるには

 前週は日本代表のワントップについて書いた。米国との試合の前半、久保だけを前線に残した布陣が、うまく機能しなかった話だった。
 日本代表は米国から帰国して、2月15日に静岡スタジアムエコパでフィンランドと対戦した。このときは久保と巻のツートップだった。
 1970年代以降、ツートップは最も一般的な布陣である。相手ゴール前に2人のストライカーを置く攻撃的布陣だ。それ以前の4−3−3、あるいはWMフォーメーションでは、前線のプレーヤーは3人だったが、2人は両翼に展開していた。したがって直接、相手のゴール前をおびやかすセンターフォワードは1人だけだった。だからツートップのほうが攻撃的だと言ってもいい。
 久保を軸とした日本代表のツートップは、まずまず機能した。米国との試合の後半、日本の挙げた1点目は久保と佐藤のツートップに変えた結果だった。佐藤がちょっと外側に出て久保の進出するスペースができた。
 対フィンランド戦は2−0の勝ち。後半3分の先取点はスローインからの速攻で久保が決めたもの。ツートップの相棒の巻が、やや遅れてゴール前へ入ろうとしたのが久保にチャンスを与えた。
 米国戦とフィンランド戦の1点目が、それぞれ示しているように、ツートップの2人は、それぞれ違った動き方をすることによってチャンスを作る。2人が同じイメージで動くと互いに重なり合ってしまうが、2人が別々のアイデアで動けば味方の組み立ての選択肢が広がり、相手は守りの焦点を絞りにくくなる。
 1970年のメキシコ・ワールドカップのとき、西ドイツ代表チームには2人のセンターフォワードがいた。ベテランのウーベ・ゼーラーと新進のゲルト・ミュラーである。この2人をトップで両立させるために、シェーン監督はゼーラーに「ちょっと下がりめからプレーするように」と指示した。それがミュラーを得点王にした。
 この裏話を駿河台大学教授の明石真和さんの書いたもので知った。明石さんはぼくたち「ビバ!サッカー研究会」の仲間でドイツのサッカー史に詳しい。
 その明石さんが、ワールドカップの歴史を、栄光のドイツ代表チームを中心にたどった本を書き上げた。その原稿を見せてくれたのである。シェーン監督の自伝をはじめ、ドイツ語、英語のいろいろな文献に目を通している。その筆者たちに直接会って話も聞いている。そのうえで欧州サッカーの裏表がおもしろい読み物にまとめてある。これをぜひ出版したいと目下、画策中である。


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