コンフェデレーションズカップをテレビで見ていて気が付いたことがある。それは「日本のサッカーのスタイルが見えてきた」ことである。
日本の試合を見ていて、気が付いたのではない。4強に進出したブラジル、アルゼンチン、ドイツ、メキシコの試合を見ていて思い出したことである。
スタイルとは「サッカーの気風」というような意味である。戦術や戦法やシステムの話ではない。戦術や戦法は、そのときどきの選手(手駒)によって、相手によって、状況によって変わる。しかしどんな場合でも、ブラジル代表チームにはブラジルらしさがあり、ドイツ代表チームにはドイツらしさがある。その「らしさ」がスタイルである。それは、それぞれの国の風土や文化に根ざしている。
「なるほど、これがスタイルだ」と実感したのは、初めてワールドカップを現地で取材した1970年メキシコ大会のときだった。このとき優勝したブラジルは、個人個人の目をみはるようなボールテクニックと、その場その場でひらめくアイデアが一体となって、楽しいハーモニーを作り出していた。それがブラジルのスタイルだった。
開催地元のメキシコは、泥臭いが粘り強いサッカーでベスト8に進んだ。
1974年西ドイツ大会では、開催国の西ドイツが優勝した。確実さをだいじにする組織的なチームプレーと、闘志をむきだしにする厳しさが印象的だった。
1978年のアルゼンチン大会も、開催国アルゼンチンの優勝だった。地元サポーターの大声援を背景に、テクニックのある選手たちが、ひたむきに戦いぬく姿に感動した。
こういう、それぞれの国の代表チームの特徴は、選手が入れ変わり、監督が交代し、時代が流れても、基本的には、あまり変わらないで受け継がれていく。ぼくは「サッカーには家風がある」と、その当時書いた覚えがある。
こんどのコンフェデレーションズカップの試合を見ていて、忘れかけていた各国の家風が健在であることを感じた。
それと同時に「日本代表チームにも、家風ができつつあるな」と気が付いた。
むかしの日本のサッカーにも、特徴がなかったわけではない。むやみに蹴り、むやみに走り、乱暴に守るのが特徴だったといえる時代もあった。しかし、それは日本の文化や伝統には関係のないものだった。また外国人コーチに教えられたサッカーもあった。
見えてきた日本のスタイル。
それは、あらかじめ周りを見、的確に判断し、すばやく仲間を生かす知性の組織力ではないだろうか。
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