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サッカーマガジン 2005年6月24日号
ビバ!サッカー

殿堂入りを大衆で祝おう

 日本サッカー殿堂のオープニングと掲額式典が5月27日に行なわれた。日本サッカー協会のビルの地階にサッカーミュージアムがある。そこに、過去に日本のサッカーに貢献した競技者と功労者のレリーフを額にして掲げる。そのための式典である。
 今回の掲額者は、これまでの協会会長9人と競技者5人、功労者6人の計20人。今後順次、追加されていくことになる。
 功労者を選考した殿堂委員の1人として参列したが、そこで思ったのは「これを多くの人びとが祝うお祭りにできないか」ということである。
 午後3時半から4階の会議室で式典があり、4時10分から3階ラウンジでパーティーがあり、午後4時55分から地下でサッカー殿堂のオープニング・セレモニーがあった。式典であいさつしたのは、日本サッカー協会の川淵三郎会長で、除幕式の除幕も川淵会長だった。
 式典に参加していたのは、掲額者本人あるいはその遺族、親族のほか、サッカー協会の現在の理事会メンバー、および過去に役員だった協会参与などである。つまり、協会役員の身内の集まりだった。
 それはそれでいいのだが、ぼくは十数年前に、米国の「野球の殿堂」の式典を見に行ったことを思い出して、比べていた。
 ベースボール・マガジン社の元社長の故・池田恒雄さんが、その式典に招かれた。そのとき、ニューヨークに駐在していたぼくを、池田さんが誘ってくださったのである。
 クーパーズタウンという地方の小さな町である。町の唯一の大きな建物といっていい「野球の殿堂」の前の通りを、掲額される元大リーガーたちがパレードをする。歩道に仮設されたスタンドで人々がパレードを迎える。町の住民だけでなく、各地からファンが集まっている。
 池田さんとぼくは並んで、スタンドに座っていた。 
 司会者が「日本で野球の普及に大きな貢献をしたミスター・ツネオ・イケダが来ています」と叫んだ。とつぜん名前を呼ばれてきょとんとしている池田さんの袖を引っ張って「みなが拍手してますよ。立って手を振ってあげてください」と、ぼくがうながした。 
 このお祭りでは、米国ではじめて野球が行なわれたという伝説の球場で、オールド大リーガーのオールスター戦がある。これも呼び物の一つである。 
 これから毎年、定期的に行なわれる日本サッカー殿堂の掲額を、こんな「大衆のお祭り」にできないものだろうか。 
 今回の行事は、数十年むかしの取材先や仲間に久しぶりに会う機会になって、ぼく個人にとっては、とてもよかったのだが、サッカーの催しは、やっぱり多くの人に解放された大衆のものであるべきだと思う。


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