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サッカーマガジン 2005年6月14日&21日号
ビバ!サッカー

新潟最高!代表の試合は?

 風かおる5月。
 新潟駅から市内に行く途中、信濃川の河口にかかる万代橋を仲間たちといっしょに歩いた。翌日の日本代表対ペルーの試合の応援に駆け付けたグループだ。夕暮の川面が、さわやかで気持ちがいい。
 繁華街の中心、古町十字路の近くで、応援出陣の前夜祭をする。ぼくは新潟出身だ。小宴をもよおしたところは中学・高校のときの友人が紹介してくれたお店で、構えは目立たないが、魚はうまく、料理の腕はすばらしい。地元のお酒は、もちろん一級品である。しかも東京に比べれば、かなりやすい。
 酔っ払って、再び万代橋を渡り、川端のビルのスポーツバーに入った。もう夜中に近い。イングランドFAカップ決勝のテレビ中継を見るためである。スクリーンかぶりつきのカウンターを、大柄のイギリス人3人が占拠していた。「新潟も国際的になったなあ」と思う。
 翌日、さつき晴れ。4万人収容のビッグスワンは満員だった。
 02年ワールドカップの前、スポーツ社会学会での発表に「新潟のような地方都市で身分不相応なスタジアムを作って試合を誘致しても経済効果は期待できない」と予測したのがあったけど、あれは見当違いだったね。
 地元のアルビレックスがJリーグに昇格して毎試合、4万人近くのサポーターを集め、日本代表の試合には、東京からもお客さんが押し掛ける。ワールドカップが一時的なお祭りに終わらなかったのは明らかだ。学者の説にも当てにならないものがあるようだ。
 「新潟、最高っ!」
 アルビレックスがJ1に昇挌した試合のあと、ヒーロー・インタビューで山口主将が叫んだ声が耳によみがえった。
 ところで試合は…?
 残念ながら最高にはほど遠かった。 
 前半、遠来のペルーの若い選手たちが元気だった。日本の選手の動きは悪かった。疲れているような感じである。ヒデも俊輔も欧州から呼び戻されていない。小笠原が活躍するチャンスだったが、攻めの起点にはなれなかった。 
 後半に稲本と大黒が出てから、ようやく日本の攻めが積極的になった。しかしロスタイムにはいってから、ペルーの一発逆襲速攻が決まって0−1の負け。 
 ワールドカップ予選へ向けての準備試合だから、負けたことを問題にする必要はない。
 でも、東京からわざわざ応援に駆け付けたサポーターも多いのだし、新潟の観衆にとっては代表の試合を見る貴重な機会。もうちょっと、ピンとした試合をして欲しかったな。


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